「どれがいい?」
早く選べ、俺は忙しいのだと表現しているように思えて、ひきつった笑顔を返した。
さっさとすましてしまおうという、ヒサシの態度に、すこしだけ、悲しくなった。
付き合いの長い私のために、誕生日のプレゼントを選ぶなどという行為は、ヒサシにとって、もはや、いまさら新鮮でもなんでもなく、面倒に感じてしまうものなのかもしれない。
ヒサシが行きたいのは、隣の楽器店か、あちらにあるCDショップに違いない。
「うーん、こっちもいいし、あれもいいんだけど、どうしようかなあ」
本当に欲しいものは、このケースに並んでいる、ブレスレットでもネックレスでもない。
100個もらったとしても、満足できないのだろう。
永遠を誓い合う、たった一つの指輪にはかなわない。
楽しそうにショーケースを覗き込んでいる男女のいる方向をちらりと見た。
シンプルだけれどキラキラと輝くプラチナの指輪を手にし、男性に向けて、どう?似合う?とニコニコと微笑んでいる女性がひどく羨ましいと思った。
あんなふうに愛されたい。
結婚したいと言って欲しい。
さよならという選択がない、二人一緒の確かな未来が欲しい。
何年もつきあっているというのに、どうしてヒサシには私が欲しいものがわからないのか。
「どうした?マナ、これ気にいらないのか?他の店もみてみるか?」
あきれたようにため息をはき、退屈そうに、腕組みをしている。
やはり私のことはもうどうでもいい存在なのだろうか。
「もういいよ、また今度で。欲しいもの考えておくから」
勝手にいじけて、みじめになって、いたたまれなくなっている自分に、なんと愚かで、情けない人間なのだと痛感する。
ヒサシの腕を引っ張るようにして店を出た。
ぎすぎすとした言い方だとおもったがもう遅かった。
「最近お前、そんな顔ばかりしてんな。なにいらいらしてんの?」
「別に」
「俺といてもつまんない?何拗ねてんだよ」
大好きな笑顔はそこにはなくて、彼は苦笑を浮かべている。
ヒサシが私の肩を抱き寄せようとするが、とっさに身を引いて、その手を避けてしまった。
私の不貞腐れた態度に驚くヒサシに、わけもなく腹がたっていた。
欲しいものはこんなおざなりのごまかすような抱擁じゃない。
心から溢れ出てくるような、愛情だ。
絶対離さないというゆるぎない安心感だ。
「つまんないのは、ヒサシのほうじゃないの?」
「お前、何言ってんの?」
「私といてもあなたは笑わなくなった。仕事ばっかりしてるし、友達とバンドやったり、海に行ったり、そっちのほうが私といるよりも、楽しいとおもっているんじゃないの?」
ヒサシの何とかつくろった笑顔が消え、整った顔が歪み、唇から深い吐息が漏れた。
完全に怒らせてしまったのだろう。
「……ああ、そうだな、楽しいかもな。お前は俺といたくないんだろ?俺たちのライブ見に来いって言っても、一度も来ないし、俺の仲間に会おうともしない、海なんて泳げないから嫌いだっていうしな、いくら誘ってもこないもんな……悪いけど、今日は、帰るわ、俺」
一度も振り向きもせず、遠ざかる広い背中を見送る。
一体私は何をやっているのだろうか。
文句を言って困らせたいわけではなかった。
ウイークデイはお互いの仕事に忙殺され、唯一楽しみだった週末も、ヒサシの趣味である音楽活動によってなかなか会えない状態になっていたのだ。
バンドの中には、ヒサシと昔からの友達の女の子もいるらしく、いつか取られてしまうのではないかと、泣きたいくらい不安になってしまうのだ。
ヒサシが他の誰かと視線を絡ませて歌う姿などみたくない。
演奏している彼の姿を写真を通して一度だけ見たことがある。
あんなに生き生きとしているヒサシを見て、嬉しいというよりも恐怖を感じた。
ヒサシにはたくさんの居場所があるのだ。
私がいなくなったとしても、すぐさまあの眩しい笑顔になることができる場所が彼にはあるということだ。
私はどうだったのだろうか。
ヒサシだけがいればよくて、彼がいてくれるだけで、全ての時が動いていたように思う。
ヒサシを私だけの世界に閉じ込めて、私だけを見てくれればいいのにと、よからぬことを考えたりすることもあった。
たまに会えることがあっても、ヒサシは私の体を貪るように求めてくるだけで、会話もあまりなく、肉体的には満たされたのだとしても、心は空虚のままだった。
彼の気持ちがわからなくなっていた。
愛されているという実感が何もない。
温かで柔らかで優しくて穏やかな時間を過ごしたいという私の願いは届かない。
激しく淫らに抱き合いたいわけじゃない、私は、ただ、愛し合いたかったのだ。
愛されているのかどうかわからなくなって、不信感で一杯になって、不安になって、寂しくなって、助けて欲しいと、そばにいて欲しいと、それだけを伝えたかった。
私も何か夢中になれるものをみつけて、やってみればいいのだろうけれど、何も手につかない。
一人暮らしの部屋で、もしかしたら、来るかもしれないからと、外出もしないで、ヒサシを待ち続けていたのだ。
毎日少しずつ私の何かが消えていくようだった。
気がついたら、空っぽの情けない女になりはてていた。
「こんな私が愛されるわけがないか」
何一つ、誇れるものなど何もなかった。
明日は誕生日だというのに、膝を抱えて一人ぼっちで床に体育座りをしている自分に苦笑した。
★★
いつのまにか寝てしまったらしい。
転がっていた携帯が着信ありを告げていた。
ヒサシからだった。
慌てて、ヒサシに電話をかけていた。
コール音が空しくなり続ける。
どうして出てくれないの?
何をしているの?
誰かといるの?
誰かをその腕に抱いてるの?
『もしもし?』
けだるいハスキーボイスが耳に飛び込んできた。
女性の声だった。
<あの、それ、ヒサシの携帯じゃないですか?>
『ええ、そうよ。ごめんね、勝手に出ちゃって。やだっ、なんか、ヒサシ、携帯、私のうちに忘れてったみたい。今日荒れてたもんね、あいつ、飲みすぎだよね』
ヒサシと呼び捨てにし、ヒサシと今夜過ごしたらしい女性。
わけのわからない怒りと嫉妬がごちゃ混ぜになって、ほとんど叫ぶように訊いていた。
<あの、あなたはどなたですか?>
『私?名乗るほどのものではございませんって』
酔っているのか、けらけらと笑っている。
やけに甘ったるいしゃべり方だった。
<ヒサシの彼女なんですか?>
『ぶははは。いいわよ、そういうことにしておいて』
<からかってます?>
『あらあら、なんて怖い声』
面白がっている様子にさらに血が逆流するような怒りを覚えた。
その時、玄関の方から、ガチャンと鍵のあく音がして、慌てたように、ヒサシが部屋に入ってきた。
携帯電話を思わずヒサシに渡していた。
ヒサシは、「何?誰?」と、怪訝そうに私の携帯を耳にあてた。
<もしもし……ああ、やっぱり忘れてたか。……ユキノ、ごめん、携帯、明日取りに行くから……じゃあな>
ヒサシは悪びれる様子もなく、なんでもない調子で電話を切った。
「ユキノさんって言うんだ」
「ああ。さっきまであいつんちで飲んでた」
「……そういう仲なんだ」
「そういう?なんか誤解してるだろ?ユキノはバンド仲間で、学生時代からの友人、ちなみに、ギターの奴の彼女な。今日は、あれから、お前と別れてから、ユキノのうちでみんなで飲んでた」
「……そのまま飲んでればよかったんじゃないの?」
来てくれて嬉しいとそう言えばいいのだ。
どうして素直になれないのか。
自分ばかり愛しすぎているからだろうか。
自分が愛するほどには、ヒサシが愛してくれないからだろうか。
それが悔しくて、それが悲しすぎるからなんだろうか。
口から出てくるのは、罵るような言葉ばかりになってしまう。
「お前、本当にどうしたの?俺といたくないの?俺は帰ったほうがいいのか?」
「そんなことない」
「怒ってるだろうよ。いらいらしてむかついてるんだろう?お前がそんな調子だから、俺だってそうなるんだよ。どう言葉をかけていいのか、すれ違っていくだけで、どうしたらいいのかわからなくなるんだ」
「えっ、ヒサシも……私のことがわからなくなってたの?」
「ああ、そうだよ。……マナ、お前、俺のことまだ好きか?」
「あたりまえじゃない」
嫌いになったことなど一度もない。
好きすぎて気が狂いそうなくらいだ。
腕を引かれ、抱きしめられた。
いつになく真剣な瞳を向けられ、懐かしい甘酸っぱさを感じていた。
「酔っ払いは嫌い……」
ヒサシはおかしそうに笑い、酒臭い息をわざと私にふきかけた。
「じゃあ、姫君のために、シャワーでも浴びてくるか」
ぬくもりが消えかかる。
「……いいよ、そのままで」
ヒサシの胸に頭をこすりつけるようにしていた。
「マナ」
こんな風に優しく呼ばれたかったのかもしれない。
目を閉じたら、すぐに、ヒサシの唇がゆっくりと重なった。
触れるだけのものから、お互いの存在を確かめ合うかのように。
乱れた息が絡み合う。
そっとベッドに押し倒され、優しく笑ったヒサシが覆いかぶさってくる。
欲望をぶつけ合うのではない。
愛と愛で結ばれたい。
愛し合いたい。
解け合いたい。
「もう欲しい?」
「うん」
「あげるよ。マナが欲しがるものは全部」
焦れて揺れる私の身体をおさえつけ、思う存分貫く。
甘くしびれるような悲鳴をあげ続けていた。
終わりのない甘すぎる責め苦に我を忘れていった。
どれくらいたったのか。
視界は霧のように霞み、まどろみの中、ヒサシの腕の中に包まれる。
「マナ、何が欲しいの?」
からかうような調子はそこにはなかった。
ヒサシの動きが止まる。
私を抱き起こし、目と目が合う。
ヒサシの瞳の中には私だけが映されているのだと確信する。
「一緒にいたい、これからも……」
ヒサシは私の手を取り、愛しいのだとばかりに、指先にキスを落とした。
脱ぎ捨てたヒサシの服のポケットから何かを取り出した。
「そうだな、ずっと一緒にいような。……マナが欲しいのは、これだろ?本当はこれ渡すつもりだったんだけど、お前の気持ちがみえなくなってたから、ためらってた。俺も不安だった」
左手の薬指に誓えばいいのか?、ヒサシはそう言って、箱から取り出した、私の誕生石が嵌め込まれたキラリと輝くリングを宙に掲げた。
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「仕事が忙しくてかまってくれないから嫌だ!彼の趣味にまで嫉妬しちゃう」
これではうまくいかない。
「仕事でがんばってるんだから、応援しよう。何もしないで彼を待っているだけではだめだ。私もがんばらないと。彼のためにも、自分のためにも、素敵な人になろう。もっともっと、愛される人になりたい」
こんな風に意識改革をしてみてはどうだろうか。