チューリップの姫野達也さんがひたすら甘く切なく愛を歌う。
タイトルは《ぼくがつくった愛のうた》である。
ふたりの愛があるかぎり
地球は回りつづける
どうしてってきかないで
こんなに君を愛しているのに
もしも、もしも、ぼくよりも
きみが先に死んでも
きみのためにうたうだろう
ぼくがつくった愛のうた
こんな風にラブリーエミリーのように愛されたいと願う人は多いだろう。
いつも一緒にいてくれて、どんな時も自分を優先してくれて、優しくしてくれて、いつまでも変わることなくお花畑のような良い香りのする楽園で愛をささやいてくれるのだから。
しかし、この曲とは正反対で相手への思いやりに欠けた利己主義な愛は時に狂気、凶器にも変わってしまうのではないだろうか。
二人はいつも一緒だよ。
自分以外の異性はだめ、話するのも禁止。
そんな顔するのやめなよ、ほかの人に媚びてどうするつもり?
自分と会うより友達のほうがいいの?
それ好みじゃないから、その髪型禁止、服も選んであげる
趣味、サークル?そんなのつまらないからほかのことやろうよ、自分が一緒ならいいでしょ?なんでも一緒がいい。
どうしてすぐにメール返してこないの?自分が嫌いなの?自分を怒らせて、困らせて何が楽しいの?
帰ってきたら連絡して、心配するでしょ。約束したじゃないか。
自分は友達とかよりもあなたといたい、あなたが寂しくないように、他の人とは会わないって決めた。
あなたにとって、誠実な人でいたいんだ、だから、あなたも自分を不安にさせないで。
こんなにも尽くしてるのに、こんなにも大好きなのに、こんなにも大切にしてあげてるのに、どうして自分を怒らせるの?
こうして片時も離さないで手をつないでてあげる、二人だけの世界があればいいのに。
さて、これでも、ここに本物で究極の愛があると思うだろうか。
相手が息もできないくらいにピタッと密着して封じ込める。
こんなのは愛じゃない。
がんじがらめに束縛しているだけのようにみえないだろうか。
「愛してるんだ、大好きなんだ、だから、自分をいらいらさせないで、わがままいわないで、こんなにも愛してるんだから」
ただのコントロールである。
相手には相手の人生があり生活があるということを考慮していない。
相手を支配したい。
自分の思うままに動かそうとしているだけだ。
相手が自由を求めて自分を尊重して欲しいというような態度を取ると、とたんに不機嫌になってしまうのである。
やがて不平不満がつのり、暴力という悲劇に変わることもある。
相手を愛するということは、蝶の標本のように虫ぴんで四肢を束縛し、相手の世界をすべて封印してしまうということではない。