バットマンに会いに、バットモービルに乗って(妄想)先行ロードショーにでかける。
映画のお供に、バットマンは食べないだろうとは思うがバターたっぷりのポップコーンと、ジョーカーならきままにつまんだりするかもしれないポテトフライ、珍しくビールやアイスティではなくカロリーゼロのコカコーラ。
バットスーツがバージョンアップしているではないか。
ガントレットに仕込まれた武器とか、マスク内にはソナー画像レンズが降りてくるのだからたまらない。
チキンハートがどきんどきんと鷲掴みされてしまう。
ジョーカーも悪党なのに憎めないすごい奴になっている。
天国に逝ってしまったジョーカー役ヒースレンジャーも熱くてすさまじい狂気の演技でバットマンにもジャックニコルソンにも負けていない。
私の好きな色ばかりである、緑、紫の服。
重ね着。
古くて新しいデザインのジャケットをジョーカーははおっていたりするのだ。
今風でものすごくお洒落である。
傷だらけの顔に施されたメイクが怖いくらいシリアスでユーモアのかけらもない。
スマイルゼロ円の店の看板のあの人とも違う、クラウンでもピエロでもない、ただただ暗くて恐ろしくて悲しくなるような顔である。
Why So Serious?
狂喜乱舞してしまったといえば、愛すべきバットモービルが映画『トランスフォーマー』のように、変形、独立して、なんとなんとマシンガンまで装備している新兵器になってしまうところである。
その名もBAT-POD(バットポッド)である。
響きはほんの少しだけ似ているが、いうまでもなく音楽を聴くための装置ではない。
バイクでも車でもないようである。
バットポッドがゴッサムシティを駆け抜けて行くシーンがこれまた心臓が速く遅く時には飛んだりとまるで不整脈をおこしそうになるほどに最高だ。
ああ、この映画を何度も観たら、そのうちきっと私は倒れてしまうに違いない。
シナリオは二転三転大どんでんがえしでこれまたさらに心臓にはよくないのである。
始まりから終わりまで、タロットカード、《恋人》のカードがぐるぐると私の脳裏を舞い続けていた。
このカードは二者択一といわれたりもする。
しかし、天使や神によってどちらかを選ばされるという意味合いが強いのではないかと私は思う。
そこに自分の意志を入れることはあまり許されないのかもしれない。
登場人物はあらゆる場面で選ぶことを強いられる。
どちらを選んでもそれは苦悩へとつながる道なのかもしれない。
それでも歯をくいしばって選ばなければならないのだ。
バットマンが愛しく思っているレイチェルもまた、選択を迫られるのである。
人生は選択の連続だけれど、しっかりと自分の目的はどこにあるのか、後悔しない道を歩いていきたいものである。
ダークな騎士はどこへ行く?