ーーお願いがあるの。……お礼はあとで。今日は前払いね、これでどう?


煌めくグロスに彩られた艶めかしい女の唇が誘うように蠢き、男の口にためらいなく重なった。


★★


「ミヨちゃん、サナといる男、誰だか知ってる?」


ナンジョウは眉を寄せ、厳しい表情を浮かべ、線路をはさんだ向かいのホームにいる楽しそうに話している様子の男女をにらみつけるように見ていた。


そんなにサナがいいのかとミヨはかすかに苛立ち、意地悪のひとつでもいいたくなってくる。


「ああ、あの人、理工学部のトウジ君。最近、サナ、彼に告られて、つきあってるの」


「えっ、マジで?嘘だろ。だれにもなびかなかったサナが……」


ナンジョウはこぶしをぎゅっと握り締めている。


「ショック?やっぱり、ナンジョウ君、サナのファンだった?」


「……そうだな。サナはみんなのものだったからな。誰も手を出せないんだ」


「……私じゃだめ?サナじゃなきゃだめ?」


ミヨは潤んだ瞳で長身のナンジョウを上目遣いで見上げる。


「……そんなことないさ」


★★


「レスキューロボットの研究してるの?すごい、星新一の世界みたい」


どんな話題を出してもくるくると愛らしく動く大きな瞳を輝かせ、淡い色のルージュの唇に微笑みをのせて、楽しそうに耳を傾ける。


一緒にいると心地よく、妙に癒される女であると思った。



「トウジ君、ここは私に任せて。バイト代入ったばっかりだから」


財布を忘れてレジで立ち往生しているトウジにサナは穏やかに笑いかけ、とんと胸を叩き、さっさと会計をすませてしまう。


サナの親友ミヨが電車でよからぬ者にいたずらされていることに気づき、「この人痴漢です!!!」と男の腕を取るというような勇敢な面もある。



トウジはサナが放つ神々しさに改めて感嘆するのである。


どこを切り取っても魅力にあふれていて、あきることがない。




「……好きだよ、サナ……」


気まぐれにハンドルを操作し、たどりついたこぎれいな夕暮れの宿で、波音を聴きながら、飽きることなく、尽きることない情熱をもって、奥深いところで交じり合った。


「トウジ……」


どちらの流した汗なのかもうわからなくなるほどにひとつになり、求め合い、狂おしくわきあがる激情に身悶える。


子猫のようなかわいい吐息を漏らすサナをどうやっても手放すことはできそうにもないと思えた。


まやかしだったものが本物に変わっていく。


★★


「抱くだけ抱いて、いまさら、今は誰ともつきあう気がないっていうの?」


どうしてそんな後悔だらけの顔をするのだろうか。


ナンジョウの心をつなぎとめる要素は自分にはなにもないのだと思い知った。


「ごめん。ミヨ」


あやまるくらいなら期待をもたせるようなことは言わないで欲しかった。


最初からつきはなしてくれればよかったのだ。


サナの代用品にさえもなれない自分をひどく惨めだと思った。


「今はだめなら、ゆくゆくはつきあってくれるの?、ナンジョウ君」


しつこく追いすがることがよけいにナンジョウを苛立たせることは十分わかっていたが、このまま終わらせることもできなかった。


「……本当にごめん。ミヨとはつきあえない、俺のことはもう忘れて」


「忘れる?無理だよ、できないよ。後ろ向きでもなんでもいい。ずっと好きでいてもいいでしょ」


いったい何のために、あんなひどいことを彼に頼んだのだろうか。


自分に向けられる好意を利用し、ナンジョウからサナを遠ざけるための醜すぎる策略は何の意味があったというのか。


どれほど涙を流したらナンジョウにこの想いが届くのだろうか。


ナンジョウの切れ長の瞳に自分の姿はこれからも映し出されることはないのだとミオは思い、暮れ行く夕焼けの空を恨めしそうに見上げた。


★★


ーーどうしたの?受け取って、報酬。約束通り私のこと好きにしていいわ


ーーもう、いらない。本物をみつけたから。


突き飛ばすような拒絶を受ける。


ーーまさか、本気になったとか?あなたが好きなのは私だったはずじゃない


★★


「告白って、罰ゲームみたいなものだったんだって、サナちゃん。それでもいいの?」


学食で語り合う話題としては不似合いだったかもしれないとミオは思ったが、かまわず続けてしまっていた。


「……そっか。そうだよね。私ったら面と向かって告白されたのなんて、初めてで。もう舞い上がっちゃった」


白く光るようなサナの肌が青ざめていくようだった。


サナを傷つけることに何の意味があるのだろうか。


それでも毒を吐き続けてしまう。


なりたくてもなれない天女のようなサナを汚したくて残酷な台詞を吐いてしまう。


なぜだ、どうして、みな、サナに惹かれていくのだろうか。


「遊びだよ。サナのこと弄んだだよ、彼を憎まないの?」


「どうして憎むの?トウジ君、優しかったし、楽しかったし、たくさん素敵なことを与えてくれたもの」


「なんで、どうして、そんなにお人よしなの?……どうしたらそんなに無垢なまま生きていけるの?……」


あとからあとから流れ散るミオの涙を、綺麗なものでもみているかのように、サナは微笑んで、「泣かないで、ミオ」と言いながら、指先で優しくぬぐっている。


「……好きだから、トウジくんのこと、だから嘘でもいい」





「嘘じゃねーよ。とっくに、サナに本気で惚れてる俺がいる……」


サナをまっすぐに見つめてトウジが照れくさそうに微笑んでいる。



愛とは信じること。


愛とは赦すこと、なのかもしれない。


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