立ち止まり、雨の弓、虹をあきもせず眺めた。


潮風が髪を揺らし続けている。


海岸から数メートルの高さにつくられた遊歩道をのんびりと歩くのが休日の過ごし方となっていた。


「あの日も虹がかかってたよな」


忘れたつもりの愛しい人の声がすぐ近くで聴こえた。


驚いて横を向くと、「久しぶりだな、ミオト。俺もよくここにきてたんだ。ミオトみかけるたびに声かけようと思ったけど、迷惑かなって思ってさ、遠慮してた。でも、虹見てるお前みてたら、我慢できなくなった」、虹が見せた幻影なのか、そこには、穏やかに笑うクニヒコがいた。


あの虹の日に、涙と一緒に二人過ごした思い出もこぼれおちたはずではなかったのか。


洗車をしながら、太陽を背にしてホースで水まきをした時に虹をつくってみせてくれたクニヒコ。


”ミオト、ほら、お前みたいに綺麗だろ”


綺麗なわけがない。

汚れて歪んでいるのだ。


幼い頃、友達と喧嘩をして泣いて帰った時も母親は抱きしめてくれることもなかった。


浮気ばかりくりかえす父と嫉妬で激怒した母の言い争う声がいつも私の子守唄になっていた。


家族はいるのに、私は常に孤独をかかえていた。


高校二年の夏休みに、眼鏡がよく似合う、心理学を学んでいるという大学生に出会った。


”今まで寂しかったんだね。もうこれからは僕がミオトのそばにいてあげるから”


頭をなでられ、抱きしめられて背中を優しくあやされて、私は一人ぼっちではないのだと感じた。


私のことをわかってくれる唯一の人だと思い、一人暮らしの彼の部屋に誘われてもためらう理由などなかった。


甘くて蕩けそうな巧みな口説き文句に酔いしれて、求められるまま、身体を開いた。


好きだよ、愛してる、と言ってくれたその人はやがてなんの連絡もくれなくなった。


不安で寂しくて悲しくていてもたってもいられなくなった。


鍵を渡されてはいなかったので、彼の部屋の前で待ち続けた。


やっと帰宅した彼の言葉は氷のような冷たいものであった。


”こういうのやめてくれる?近所迷惑でしょ。……僕、好きな子ができたんだよ。もう別れてくれる?”


”あなたがいなくなるっていうなら、私、死ぬから”


”そういうネガティブなところが嫌なんだよ。僕はミオトのおもりをするのにもう疲れた。僕は君の理想のパパやママになんかなれない。親に愛されなかったからってなんだっていうんだよ。虐待されたって、前向きに生きている人もたくさんいるじゃないか”


”あなたに私の気持ちなんか……”


”ああ、わからないよ。理解しようとしたけど、無理だったよ。いちいち、捨てないでとかいわれるの、正直面倒だし、そういうの重いんだよね。楽しくないんだよ”


自分がどれだけ男に依存していたのか思い知った。


恋する感情を忘れかけた頃、取り引き先の会社員、クニヒコに告白された。


イエスもノーも言わないままの私に、”いいよ。いつか好きになってくれれば。でも食事くらいつきあってくれるよな?"とどこまでも明るい。


こんな私が愛されるはずがない、親にさえ愛してもらえなかった人間なのだから。本気で愛してくれるわけがない、どうせ冗談なのだろうと、愛されることに自信がもてなかった。


何度も何度もクニヒコをためすようなまねばかりしていた。


”これでも私を好きだっていうの?”
知り合ったばかりの好きでもなんでもない男にわざと抱きつき、妖婦気取りの醜い私のひどい台詞にも彼は私を見放すことはしなかった。


空にアーチを描いた願えば何かが叶いそうな大きな虹を二人で見ていたとき、クニヒコがいつになく真剣な声で私に尋ねた。


”俺のこと好きか?”


”好きじゃないよ。自分のことも愛せないのに、他人のことなんて愛せるわけないじゃない”


私は一体何を言っているのだ。


止まらない毒舌が彼だけでなく、私自身をも切り刻んでいく。


クニヒコはひどく悲しい顔をして、「そっか。全然変わってないんだな。一年もつきあってくれたから、少しは俺のこと思っててくれてるのかと自惚れてた。迷惑だったんだな、俺の気持ち」とつぶやいたきり、無言になってしまった。


彼は私の前からいなくなった。


たった一言、好きだと告げていたら失うことはなかった。


ぬくもりが消え去った。


もう一滴も出ないと思えるほどの涙を流し続けた。


後悔だらけの日々の暮らしではあったけれど、このままの自分でいても何も変わることができないと思うようになっていった。



無理だとあきらめていた業界への転職にチャレンジし、受け入れてもらったこと、がむしゃらに働き、よく学び、恋はできなかったけれども、少しは社交的になることができるようになったと思うと、クニヒコに告げた。


クニヒコが幸せになってくれるようにと祈る毎日だったとは恥ずかしくて言えなかった。


「すこし、歩こう?」


クニヒコは手を差し出してくれたが、ためらったままでいたら、彼は苦笑いを浮かべた。


このような優しさをもらえる資格など私にはもうないのだと思う。


三年前に、きつくつないでくれていたクニヒコの手を離したのは私のほうなのだ。


どんな時もそばにいてくれて、たくさんの愛を、かけがえのないものをくれた彼を心無い言葉で裏切った。


彼がくれた愛をうまく受け取ることができずに、二人の絆を不器用ながらも大切に守り育てていこうとしなかったのは私のほうだ。


「ごめん。私、もう帰るね」


ふいに、クニヒコは私の手を取り、指をからめるようにしてつないだ。


電流だ。


背中の辺りが落ち着かなくなるようなざわめきがドクドクと体中に流されていくようだった。


「嫌だ、帰さない。もうこんどこそ放さない」


瞬間、強い力で抱きしめられていた。


「……放して、……クニヒコにはふさわしくないの、私じゃ、だめ」


クニヒコの胸を両手で押しながら逃れようとしていた。


「また逃げるの?逃げてもいいけど、俺、もう追いかけないよ。それでもいいの?」


彼の腕から脱出しようともがいていた動作のすべてを停止させていた。


彼は喉の奥で笑って、両手で私の顔を包み込んだ。


彼の瞳には私だけが映っていた。


まっすぐに私だけを見てくれているのだ。


もう二度と愛する人を傷つけないと心に誓ったではないか。


相手の気持ちを考えて行動できるような人になろうとこの三年努力してきたではないか。



「俺のこと嫌い?」


さあ、正解を言うのだ。


今度こそ間違えてはいけない。




「……好き」


自分から彼の唇と私のそれをゆっくりと重ねていた。



素直になる、これがなかなか難しい。


太陽の下、月明かり、星空のもと、etc.、空の神々たちの力を借りて、愛の告白をしてみよう。


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