「な、なに、これ?」
指にはさまれているのは一枚のハガキである。
集合郵便ポストの前で思わずうなり声をあげてしまった。
連日続く残業の疲れが今になってでてきたようだ。
疑問符が、はじけるように宙に舞い、リズミカルに私を攻撃してくるようだった。
わなわな、めらめら、目の奥で紅蓮の炎が揺れる。
嘘、冗談に決まっている、そんなことはありえないと頭を横にふり続ける。
怒りで唇がゆがんでいくのがわかる。
ヨウスケが結婚?
しかも電撃結婚ともいえるレベルである。
あの恒例のイベントのような言い合いから、一年もたっていないのではないだろうか。
”ごめん、俺、お前とこれ以上無理だから。こんなに喧嘩ばっかりしてるのってやっぱり異常だと思う。俺には仕事もあるし、友達とのつきあいも大切なんだよ。楽しませてくれなきゃ嫌いになるとか言われてもな、俺、お前専用のピン芸人とかじゃないわけ”
唇の端っこすらあげずに、冷たい声とさめきった調子で、私の大好きなそのアーモンドアイに私の姿をこれっぽちも映さずに、そう言い放った。
喧嘩をしても、いつものように、三日もすればヨウスケの方から電話がきて、部屋に来いよといわれて、仲直りのキスをして、くすぐったさが切なさに変わり、ヨウスケの名を途切れ途切れに呼び、からまった指がわだかまる心をときほぐしてくれるものだとばかり思っていた。
喧嘩も刺激的な二人のスパイスだったのではなかったか。
三日どころか、一週間が過ぎ、こんなはずではないのにと皺が浮かぶほど眉をよせるようになり、日にちを数えるのも困難になった頃届いた結婚通知なのである。
★★
「ちょっと、アマネ、あんた飲みすぎ!」
カウンターで凶暴にぐちぐちだらだらと同じことを話し続けている私にあきれたのか、店のヨシミママがなみなみと手酌をしたグラスを取り上げようとする。
「飲ませてよ。今夜でふっきるつもりだから。・・・ヨウスケより五つも上のキャリアウーマンなんだって、奥さん。優しくて穏やかで大人って感じで。仕事なら私だって負けてないと思う。何で私じゃだめなわけ?なんでなんでなんで・・・」
「はいはい。・・・そういうのってけっこうあるんだよ。アマネにとっては突然の話かもしれないからついていけないんだろうけど。彼としてはさ、少しずつ、サインを出していたんじゃないかな。こういう部分をお互い直してうまくやっていこうとかさ、喧嘩する形で解決していきたかったんじゃないの。でも、変わろうとしたのは自分ばっかりで、アマネのほうは相変わらず変わる努力をしていなかった。彼は疲れちゃったんだと思うよ」
「・・・変わる努力?なんで?私何にも悪いことしてないつもりだったけど。私を好きだとか言うなら、私に合わせてくれるんじゃないの?」
「そんなのお子様の恋だね。相手の気持ちぜんぜん考えてないってことだよねえ、タケシ?」
何度か遭遇した常連客のタケシは相変わらず静かに酒を飲んでいるようだった。
ママの同級生だという。
出版社に勤めていたらしいが、今は独立して、社会的事件などを取材したり記事を書いているらしい。
ルポライターということだろうか。
職業柄か話題豊富で正義感が強く、多少毒舌ではあるが、話をしてみると楽しい男である。
甘さのかけらもないワイルドな顔に無精ヒゲをはやし、鍛えた筋肉美、といった感じのタケシは、どちらかというと、中世的でいわゆる綺麗な顔の人にひかれてしまう私にとっては恋愛対象外な相手のせいか、気楽に話をすることができた。
剣というよりも日本刀を持たせたほうが似合う、まるで武士のようなこの男と酒を飲んでいると特に会話をかわさなくても妙に癒されるのである。
★★
この車にはブレーキがついていないのか。
レースでもやっているつもりなのか。
タケシはスタートさせたと思ったらいきなりトップギアのみで走っていないか。
これが、風も震えるヘアピンカーブ、という奴なのか。
「あの、タケシ殿、地球の果てまでアクセル踏んで、ません?」
「・・・マッハ号かよっ。・・それに買い換えるのもいいかもな。プラズマガスタービンエンジン搭載で、4駆?ボディはオープンタイプ・ベルヌーイエアロダイナミックス?」
「エアロダイナ・・・何かの呪文?」
タケシはにやりと笑って海辺に車を止めた。
ようやく超高速冷や汗の出る疾走ドライブは終わったようである。
それにしても拍手をしたくなるようなみごとな縦列駐車であった。
これで顔がタイプなら惚れているかもしれないなどとくだらないことを考えた。
まさか、女をジェットコースターで通勤したような気分にさせる男に惚れるわけがないではないか。
「日陰のほうがいいんだろ?」、タケシは、葉をつけ広く陰を作っている木の下にレジャーシートを敷き、日焼け防止のため手のひらで太陽から少しでも顔を隠そうとしている私を座らせ、飲み物を買いにいった。
意外にも結構優しい男なのかもしれない。
考えてみるとドライブをしたのも久しぶりのことである。
ヨウスケとはいつもお互いの部屋を行き来し、洒落た流行のカフェで食事を取り、建築家の祭典のような場所でショッピングをするということが多かった。
甘く優しげな眼差しを浮かべるヨウスケにエスコートされて歩くのは楽しくて誇らしくて、私はこんなに愛されて幸せなのであると自慢げだったと思う。
それはただ単に新しい物が好きな私が悦ぶからという理由だけだったのかもしれない。
ヨウスケが何を好み、どんなものに関心があったのか、実はよく知らないということに今気づいて、微かに身を震わせた。
タケシのように車が好きだっただろうか?
冷や汗の出るような運転ではなかったし、ドライブ中は私の好きなCDをセレクトしてくれて、ミーハーな私に合わせてくれたのか、ガイドブックに出てくるような美しく雄大なスポットまで連れて行ってくれた。
バイクの免許を取ったら後に乗せてやるなどと言っていたような気がする。
ヘルメットなんてかぶったらヘアスタイル崩れるから乗らないと言ったら、悲しげな顔をしていたのではなかったか。
外食もいいけどたまにはアマネの手料理がいいなと言っていたが、料理なんてからきし苦手な私は、いつかねと答えていた。
おかげでキッチンは湯をわかすぐらいしか使用していないで当然のようにピカピカである。
残業で疲れて眠っていたヨウスケを夜中の電話でたたき起こし、来て欲しいと呼び出したこともある。
恋人というのは私を幸せにしてくれ、王子様のように守ってくれて、寂しくないようにいつでも笑っていられるように配慮してくれる存在なのだと思っていたのかもしれない。
なんという幼すぎる発想なのだろうか。
もっと大切にしてあげなければいけなかったのだ。
二年もつきあっていたのに、ヨウスケがなんどもヒントをくれていたのに、絆を育てることもせず、優しさに甘え、好き放題を重ね、別れに向かって歩いてきたのかもしれない。
宝物を扱うように配慮していかないとすぐに切れてしまうような儚い二人の関係だったのに、私は彼に感謝することなどまったくなく、ヨウスケに終わりのない無限大の愛を要求していたことになる。
「どうした?」
タケシはよく冷えたペットボトルの緑茶を私の頬に押し付け、人差し指で私の目じりのあたりに流れ落ちた涙をぬぐう。
追いかけることはもうできない、もう遅すぎるのだ。
「・・・ひどいことばかりしてた。恋は二人でするものなのに、・・与えてもらうばかりでなんにも返してない」
タケシはふっと笑うと、私の髪をぐしゃっと大きな手でなでた。
タケシはミネラルウオーターを美味しそうに飲んでいる。
タケシの首に流れた水のしずくと一粒の汗が溶け合っていく。
「アマネの彼氏もさ、自分でそうしたいから、お前のこと好きだから、やってたんだろうな。そういうもんだよ、好きな奴にはなんでもしてやりたいし、悦ぶ顔がみたいんだよ・・・まあ、だんだん無理して疲れちまったんだろうけどな。そういうときに癒し系の女神みたいな女があらわれたら、そっちいくかもな」
「・・私もいくね」
「だろっ?」
タケシの悪戯っぽい笑いは嫌いではないと思った。
涙と砂と汗でぐちゃぐちゃの顔が苦笑でさらにひどいものとなっているだろう。
口紅もきっととれてしまい、ファンデーションもよれよれになってるかもしれない。
でも、今は、笑い飛ばしてみたくなっていた。
なにもかも海の蒼さのせいにして、繰り返す波の音にこの身をゆだねてしまおうと思った。
「・・・いつか鯨でも見に行くか?」
「鯨、すごい、みれるの?」
「ああ、船にくっついてくるときもあるぞ。船べりから水中写真やビデオを突っ込んで撮影したこともあるな。でかいけどかわいいんだよな。またあいつに会いにいきたいな
「あいつ?彼女みたい」
くすくすと笑う私をタケシは今日の海のように凪いだ目でみつめる。
イギリスのロックバンドのロゴがひかえめに入っているTシャツの袖から、よく日に焼けたたくましい腕がのぞいている。
かなり明るめの茶色のタケシの瞳に、鯨と船を想像したら愉快になり笑いころげている私が映っている。
「・・・俺の彼女になる?」
白い歯を閉じて真剣になったタケシの顔に直射日光が降り注ぐ。
眩しすぎると思った。
まっすぐに伸びた背中と、もてあまし気味の長い手足、力強いシルエットはまるで戦いの神のようであると感じた。
同時に、人を慮ることができない私に、タケシを幸せにしてあげることはできないのではないかと思った。
今の私には全く自信がなかった。
力なく首を横にふる私に、タケシは「そっか。アマネは、もっと俺より若くて、こう、顔が甘ったるくて、どこかの国の王子みたいな奴がタイプなんだよな。俺と正反対だよな」と、気にしなくていいからと配慮してくれたのだろうか、冗談だよとばかりに笑い話にしてくれた。
心臓がきりきりと音をたててきしみ始めた。
★★
あの日、自信がなくてもタケシの手をとるべきだったのだろう。
激しい後悔が私を容赦なく切り刻む。
いつもチャンスはぼっとしている間に過ぎ去っていくのである。
この半年、いろいろなものに挑戦してみていた。
自分磨きというのはなにも外見ばかりをよくするということではないのであろう。
本を片手に料理をつくってみた。
失敗を繰り返しながらなんとか食べることのできるものを作れるようになった。
タケシを想い、台所にたつのはとても楽しい作業となっていた。
いつのまにか買い揃えていた二人分の食器が棚を飾るようになっていた。
いつの日にかお披露目できたらどんなに素敵なことだろうか。
携帯電話のボタンを押してみたくなる。
すぐに手を止める。
この繰り返しである。
ふとした瞬間にこの動作をしてしまう。
自分から男性に電話をかけたことがないのである。
電話とは相手である恋人のほうからかかってくるものであるというおろかなマイルールに囚われているのである。
タケシからは彼女でもなんでもないのだから、連絡がこないのはあたりまえのことなのである。
携帯がなるたびにもしかしたら彼からかもしれないと期待して祈るような気持ちになっていた。
電話をかけるだけだ。
女友達と話すように気軽にやればいいのである。
何を恐れる?
失うものなどなにもないではないか。
あれからいくつもの朝と夜がきていたのである。
タケシはもうとっくに私には興味を失い、彼女がいるかもしれないのである。
告白するわけではない。
近況報告をすればいい。
Whale Watchingはどうなっている?などとなるべく明るく訊いてみればいいのだ。
ただ、彼の声をきいてみたかった。
声を通して彼を感じてみたかった。
一歩踏み出さないことには何も変わることはできない。
彼が欲しいのであれば、ふられて傷つくことを怖がっていてはだめだ。
私は深呼吸をして、ボタンを押した。
『おかけになった電話は現在、電波の届かないところにおられるか電源が入っていないためかかりません』
ヘナヘナと力が抜けてしまいソファに沈み込んでしまった。
何度かけても無情なアナウンスが聞こえてくるだけであった。
私はヨシミママの店にかけていた。
『はい。・・・アマネちゃん?どうしたの?・・・住所?えっ、一生のお願いとか言われても困るんだけど・・』
★★
書いたメモと表札を交互に見比べ確かめているのにもかかわらず、チャイムを押すことをためらっていたら、がたっとドアがあき、タケシが顔をのぞかせた。
驚いてみっともなくあたふたする私に、彼は顔をほころばせにこやかに笑う。
「いつまで待ってればよかった?俺?ヨシミママから電話があって・・」
頭をかき、照れた調子である。
「あの、あ・・・の、ごめん、携帯に電話したんだけど通じなくて」
「ああ、電源切ってたかも・・・とにかく、中入れば」
ドアが閉まり、タケシと向き合うが、うまく言葉が出てこない。
「上がる?」
「ううん、ここでいい」
「そっか」
何を話せばいいのだろうか。
考えれば考えるほどパニックになりかけた。
傘たての隣に大きめのスーツケースが置いてある。
「もしかして、でかけるところだった?」
「ああ、悪い。せっかくきてくれたのに、・・取材でこれから行かないとならない」
本当に私は考えなしに行動している。
こんな忙しいときにアポなしで突然押しかけ、彼を困らせている。
社会人としてもこれでは失格だ。
「本当にごめんなさい。・・あの、・・今日は帰るね・・」
「・・ちょっと待っててくれる?・・ええと、あれ、どこに置いたかな」
タケシはリビングに通じているらしい廊下を抜けてなにやら探しに行ったらしい。
パキラだろうか、観葉植物が置いてある。
部屋は清潔な香りがしていて、綺麗に片付いているようだ。
「ごめんな、時間があまりない」
腕時計をながめながら、本当に申し訳なさそうにしている。
「・・うん・・じゃあね」
不意に腕を掴まれ、手に何かを握らされた。
「・・・来月には戻ってくると思う。・・・その時はここで待っててくれるか?」
思わずこくりと頷いていた。
手のひらを開けたら、銀色の合鍵があった。
羽が生えて飛んでいかぬように、幸せがこぼれていかないように、両手できつくそれを握り締めた。
→
理想のタイプにこだわりすぎると恋の神様は通り過ぎてしまうことがある。
自分の気持ちが優先で、相手の考えはおかまいなしにしていると、やはり恋の女神さまはいなくなってしまう。
心を柔軟にして、まずは感じてみる、二人でいることを楽しんでみる。
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