オフィス近くの人気店のピリ辛坦坦のつけ麺を堪能していたら、餃子を頬張る同僚にからかわれた。
「お前のファンだってよ、受付のシロタさん。まったく独身の俺にしとけって」とぼやきが続く。
「シロタ?あの髪がくるくるしててどちらかというと派手めな子の方?」
俺は刻み海苔が散らばった麺をぐるぐるとパスタのように箸に絡ませ、シロタの完璧な営業スマイルを思い出していた。
「そうそう。巻き髪な。メルアド訊かれたから、教えておいた。感謝しろ」
「お前なあ、勝手にそういうことするなよ。この個人情報保護な時代に」
「うるせーな。シロタさんだぞ、あの。文句ないだろ?」
「文句とかじゃなくて、俺は既婚者なんだぞ」
「お前、まじめだなあ」
同僚があきれたように苦笑し、コップの水をぐいっと飲みほした。
ランチタイムももう終わるなと俺はのんきに腕時計を見た。
★★
本当に来るとは思っていなかったシロタからのメールが届いて、みっともなくうろたえてしまった日から、もうどれくらいたつのだろうか。
『こんにちは。お言葉に甘えてメールしちゃいました』と書かれていたので、おもわず、俺はただの一言も言ってないはずだと頑なに拒んではみたものの、結婚して以来遠ざかっていた妻以外の女性とのやりとりにひさしぶりにドキドキしていたのも事実である。
いつのまにか、おはようからおやすみまでのたわいないやりとりをするようになり、シロタからのメールを楽しみに待つようにまでなっていた。
最近ではさらに進化しているのである。
ハートマークの絵文字付きで食事にいきませんかと誘われるようになった。
もっとも彼氏がいるらしく、おれのことはつまみ食い程度に、好きということらしい。
かろうじて理性とやらが働いているようで、俺はまだ一度もイエスの返事を書いたことがなかったのである。
社に戻るとブルーのアイシャドウをてらてらと煌かせ、ひかえめなグロスが施された整った唇に微笑を浮かべているシロタに呼び止められる。
「クロダさん、伝言預かっています」
「誰から?」
シロタは再びにっこりと笑い、彼女の淡いピンク色に染まっている指先に挟まれたメモを俺に渡してくる。
【クロダさん、今日こそ夕飯つきあってくださいますよね?】
思わずシロタを見ると、潤んだ瞳に吸い込まれそうになり、頷いてしまった。
背中を何かにぬるりとなめまわされたような気分になり、ぞくりとしてしまったのはなぜだろうか。
展望レストランから見た夜景は、いつも見慣れているものとは違っているような気がしたのは錯覚なのだろうか。
美しいネオンの明かりに打たれ続けていたら、シロタのしっとりと絡みつくような視線に惑わされていたら、なにもかもが許されるのかもしれないという気になっていた。
激しい鼓動は自分のものではないみたいだった。
恋というには程遠いとは承知の上で、結末などわかっているはずだったのに、魅惑的な誘いを拒みきれず、俺のちっぽけなモラルとやらはあっけなく封印されてしまった。
口をかたく閉じることで、俺を拒むポーズでもとっているつもりなのだろうか。
無理にではなく優しくあやすように口づけてやるとようやく吐息とともに唇を開く。
シロタのむずがるような呻きがもれはじめた。
焦らすのがよほど好きらしく、自分から誘ってきたくせに、長い両足をぴったりと閉じ、かすかに身体を震わせ、俺の腕から逃げていこうとする。
「嫌なの?」
シロタはゆっくりと首を横にふる。
甘く優しく時間をかけてゆっくり激しく彼女を蹂躙する。
激しく乱暴なのはお気に召さないらしく、苦痛にも似た小さな悲鳴をあげ続ける。
目をぎゅっと瞑り、俺にしがみついてくる。
予想外に初々しいのも計算のうちなのだろうか。
花の香りのする髪をなでてやると彼女のきつく閉じた目から流れるのは一滴の涙。
シャワーを浴びてベッドルームに戻ると、いつかみた映画のワンシーンみたいに、シーツをドレスのようにまきつけ、はにかむように夢見るように笑うシロタの姿があった。
「一度これやってみたかったんです。窓から海がみえたらもっとよかったのにな」
バレリーナのようにそろりそろりと爪先立ちでバスルームに消えた。
俺が爪で彼女の腕でもひっかいてしまったのだろうか、白いシーツには小さな赤い血のような染みが見え隠れしていた。
★★
まるで病だ。
相変わらず、愛という言葉は置き去りにされていたけれど、誘われるままシロタと時を忘れるほどむさぼりあうようになっていた。
相性がいいのかもしれない。
もう手放せないと思っている自分に愕然とする。
当然妻との関係はぎくしゃくとして、俺は、嘘ばかりつくようになっていた。
何度でも味わいたくなる毒が俺の全身を侵し、熱病のようにシロタを求めてさまよい始めた頃、今度は俺のほうからもっと距離を縮めたくて彼女にアプローチした。
「妻とは別れる・・・」
しかし、可憐な唇から流れ出たのは拒絶、であった。
「・・・もう無理です。こんな関係やめましょう。言ったじゃないですか、私、彼氏がいるんですよ」
「今更それを言うのか?」
「お互い楽しんだってやつですよ。彼氏と奥さんを裏切っている背徳の悦びってのが私たちをおかしくさせただけですよ」
「最初から完全に遊びだったってことか?」
「当たり前じゃないですか。既婚者に本気になるわけないじゃないですか」
「いつもそうやって男食ってきたのか?飽きたら終わりか?」
「・・・そうですよ。もうゲームオーバーです。奥さんにばれたり、慰謝料請求とかされるような面倒なことになる前に終わりにしましょう」
シロタはいらないゴミでも捨てるように、光を消し去ったつめたい眼差しで俺を見た。
もともと愛などどこにも存在しなかったというのなら、このままフェードアウトすればいい。
後腐れのない大人同士のアバンチュールだったということだ。
俺は漆黒の空を見上げ、見えない星を探していた。
切り裂かれたような俺の心の痛みはいったいどこからくるのだろうか。
★★
どれほど泣いたら光溢れる朝がくるのだろうか。
「だって、仕方がないじゃない、生まれて初めて愛した人には奥さんがいて・・・わたしのほうが身を引くしかないじゃない。・・・こんなに好きなのに・・・どうやって忘れろというのだろう・・・」
誰にも届かない想いはどこへいけばいいのだろう。
→
「彼氏がいるの、経験は多いほうかな」
こんな悲しい嘘は、もうやめよう。
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