約束どおり定時で会社から帰ってきたら、テーブルの上には豪華絢爛とまではいかなかったが、うまそうな料理が俺を迎えてくれた。
キッチンに立つ白いエプロンをつけたチサトが鼻唄まじりに鍋の中をかき混ぜている。
嬉しかったけれど、今度は何を要求されるのかと思うと、ちらっと苦いものが喉を通ったような気がした。
ビールを飲みながら箸で野菜炒めをつまんでいると、チサトが「おいしい?」と心配そうに訊いて来る。
俺が頷くと、満足そうな笑みを浮かべる。
さきほどから何かを口にいれるたびに繰り返される会話にそろそろあきてきた。
「ねえ、また、ご飯つくりにきてあげようか。だから、早く帰ってきてね」
「無理だよ。今日も本当はつきあいがあったんだ」
チサトは少し頬をふくらました。
「いつもいつも仕事とかつきあいとか飲み会とかばかり言ってるんだから。早く帰れたら、一緒にいられる時間が増えるじゃない。ねっ、だから、がんばって断ってきてよね」
欲しかったものは俺との時間ということか。
「がんばってどうなるもんでもないだろ。仕事のつきあいは断れない。友達も大切だよ。チサトだってそうだろ?」
チサトは納得いかないという顔をこちらに向ける。
「嫌なの、とにかく、私を優先して」
最近チサトは俺を束縛するようになった。
友達と会う時に一人でも女性が混ざっていれば烈火のごとく騒ぎ立てる。
「あなたを誰にも取られたくない。ずっと一緒にいたい」
もつれるように俺はチサトに押し倒されてベッドに倒れこんだ。
見えない誰かに嫉妬するかのように、夢中で俺に覆いかぶさってくるチサトの顔を両手で引き寄せた。
「どこにもいかないだろ」
「・・・あなたは私のものよね。なのに、ちっとも安心できない。・・私がこんなに愛してあげてるんだから、あなたも・・私だけを見て」
チサトの恋愛観はギブアンドテイクということになるのだろうか。
何かをあげるから何かを返して欲しい、こんなにつくしてるのだから私に優しくして欲しい、かまって欲しい、傍にいて欲しいということか。
俺を失うことを恐れて、俺の行動を監視し、蜘蛛のように糸を絡めて、俺を永遠に捕獲したいというのか。
それほどまでにチサトは自分に自信がないのだろうか。
俺なりにチサトとの時間は大切にしているつもりではあったがまだ足りないのかもしれない。
それは底なしの欲求なのではないだろうか。
俺に応えることができるのかと、背中に冷え冷えとしたものを感じはじめていた。
★★
「マツムラ先輩、すごい顔っすよ。具合悪い?」
「先輩、死相が・・・」
ウメハラとタケダの二人の後輩に怖いものを見てしまったような顔をされた。
「頭痛に吐き気とか、まあ、あれだ、アセトアルデヒドによって引き起こされてるらしい」
「あらまあ、二日酔いですか。・・・確かこの辺に・・」、ウメハラは自分の机の引き出しをあけ、なにやら探して、あったあったと喜んでいる。
きびきびとした動作で給湯室に向う。
「はい、どうぞ。けっこう効きますよ、この薬」
ニコニコ顔で錠剤と水を手渡され、俺は礼をいい、口の中に薬を流し込んだ。
「ウメハラは気がきくなあ」
タケダがぼそっとつぶやいている。
「先輩、調子が出るまで、何かお手伝いしましょうか」
「おお、わるいな。・・・早速だけど、これ頼んでいいかな?」
後輩女子社員ウメハラは嬉しそうに、はい、と言い、鮮やかな勢いで会議に必要な書類をつくりあげていく。
仕事なのにどこか楽しそうなウメハラの様子にすこしだけ胃の痛みも和らいだような気がした。
夕方になる頃には薬のおかげなのか、ずいぶん楽になっていた。
「今日はサンキューな、ウメハラ」
「いえいえ、少しはマツムラさんのお役に立てたようで嬉しいです」
心なしか頬を赤く染めて、照れたようにまた笑う。
嬉しい?ウメハラは見返りはいらないのかと、ふと思った。
「今度食事でもおごるよ」
「いいですよ。私が勝手にやりたいからやってるだけですし」
チサトとは違うのだと思った。
★★
その日はすこし早く帰れそうだったので、会社の近くの駅に直結した大型ショッピングモールの入り口でチサトと待ち合わせをした。
ここにはシネマコンプレックスもあって便利である。
チサトは会うなり、もう絶対俺を離さないとばかりに腕を絡めてくる。
「すごく嬉しい。平日に会えるなんて久しぶりだよね」
素直に喜んでいる様子に、誘ってよかったと俺の方も嬉しくなった。
食事を終えて店の外に出ると、映画館から出てきた人々とすれ違う。
「あれっ、先輩じゃないっすか」
派手なネクタイが良く似合っているタケダとモノトーンで決めているウメハラの二人組みである。
「おお、お前ら、映画?」
はいと同時に頷く二人。
二人がお似合いだと思ったとたん、なぜだか、面白くないと感じていた。
「あのさ、二人って、つきあってるんだっけ?」
「まさか、ちがいます」
ウメハラがものすごい速さで否定するとタケダは頭を掻いていた。
俺はどこかほっとした気持ちになっていた。
チサトは俺の手をぎゅうぎゅうと握り締め、誰?と小声で囁いてくるので、会社の後輩たちと答えた。
「先輩こそ、彼女さんっすか?」
「まあ、そういうことで・・・」
チサトは笑みを浮かべながらも、なぜか力なく俯いてしまったウメハラを凝視しているようだった。
「あの女の子の方だれ?」
俺の部屋に着いても、チサトの機嫌は悪かった。
「?ウメハラのこと?」
「・・・気づいてないの?」
チサトは俺の首に腕を廻し、「あの子あなたのこと好きよ、きっと」、と俺の耳元で続けた。
「そんなわけないだろ」
「・・・あの子に近づかないで、あなたもけっこう気に入ってるみたいだし?」
「近づくって・・・仕事してるだけだぞ」
「私だけを見てて・・ねっ、私はあなたが望むことすべて与えてあげるから、だから、私を愛して、お願い・・」
お願いではなく、俺にはそれが、命令にしか聞こえなかった。
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これだけやってあげてるのだから、愛されるのは当たり前だ。
ただそうしたいから、相手の喜ぶ顔がみたいから、真心、ただそれだけをあなたに贈りたい。
どちらが本物の愛だ?
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