大学からの帰り道、遊歩道を歩く俺の足元に転がってきた野球のボールを拾い上げて、かぶっていた帽子を取って会釈をする少年に投げてやる。


「そう、そんな風に笑ってたよね?あの時も」


「あの時?」


何も塗りたくってない洗いたてのような顔をこちらに向けて、女友達のハナイが笑っている。


「もう告っちゃおうかな・・少しだけ時間ある?・・あっち行かない?」


ハナイは、近くの公園を指差して、俺を誘導する。


俺はベンチに座り、ハナイはすぐ近くに照れたように立っている。


「なんだよ?」


「あのさ、ミハシ君、サヨナラ満塁ホームラン打ったじゃない、高校の夏の大会の予選の時、覚えてる?」


「・・うん?」


突然昔の話をされて、ついていけない。


「私、ミハシ君の相手校の野球部マネージャーだったの。みんな悔しくて号泣してたのに、私だけ、ガッツポーズで嬉しそうにダイヤモンド走ってるあなたに見惚れちゃってた。・・・あの時からずっとあなたに囚われてる。大学一緒だってわかった時、もう嬉しくて嬉しくて」


治ったはずの肩の痛みを感じていた。


「そうか・・」


俺はもうあの時の俺じゃない。


肩の故障で子どもの頃から続けてきた野球を捨てざるおえなくて、いまでは、何をしていいのかわからず、迷子になっている。


「・・・好きでいてもいい?」


「俺のどこがいい?俺にはもう何もない」


「・・・そんなことない。私は、あなたをみてるだけで幸せになれる」


ハナイは寂しそうに笑った。


★★


「ミハシ、お前誰か知らない?バンドのキーボード、募集中なんだよ」


音楽に情熱をかけている先輩が少し羨ましい。


先輩はお菓子の品出しをしている。


俺はレジをやっていたが、深夜のせいか、客はいない。


「・・・いるかも」


ハナイのもぎたての桃みたいな顔が浮かんだ。




待ち合わせのファミレスに行くと、ハナイは、テーブルの上でノートを広げ、魔法のようにサラサラと絵を描いていた。


「上手いな」


「ほんと?将来、イラストとか絵とかの仕事したいんだよね。音楽も大好きだけど」


「・・・すげーな」


俺はいまだ何もみつからず、もがいている。


就職の話をしばらくしていたら、先輩が少し遅れてやってきた。


先輩はハナイをしばらく見て、今度は満足そうな表情を浮かべて、俺を見て、うんうんと頷いた。


気に入ったのだろう。


「ハナイレイです。よろしくです。私で大丈夫かな?」


★★


「ミハシ、レイちゃんもらっていい?」


「なんすか、それ?俺のじゃないですから。ご自由に」


俺は店の制服を乱暴に脱ぎ捨てた。


面白くないのはなぜだ?


先輩がハナイの名前を親しげに呼ぶから?


ハナイが先輩とつきあおうが俺には関係ないだろう。


店を出ると、俺は、携帯を開き、化粧の濃い何度か遊んだことのある女に電話をかけていた。


ドアが開いたとたん、俺は、女に飛びついた。


女が俺の体重を支えきれるわけもなく、そのまま玄関先に倒れこんだ。


「ちょっ・・・ちょっと、重いよ、どうしたの?」


女の抗議を無視するように口を塞ぎ、抵抗がないことをいいことに、好き勝手に蹂躙した。


女は俺に寄り添い、俺の手に指を絡めた。


「なんか違うんじゃない、今日のミハシ。誰のこと考えてるのかな?・・まあ、いいけどね」


やらせてくれる女なら、だれでもよかったのかもしれない。


最低だった。


★★


会場の皆が踊り、揺れている。


うねるような振動に合わせて、俺の心も震えていた。


ピアノを弾くハナイに、まるで愛を告白してるかのように先輩が歌い上げている。


甘く優しく低めの声がブルーのライトに照らされたステージに染み渡る。


続いてドラムが重なり、ベースも後を追う。


隣りの女がうっとりとした顔で俺の肩に顔をのせる。


「いい感じね、あの、ヴォーカルとキーボード。彼、かの、かな?」


みつめあう、ハナイと先輩をみているのはつらかった。


俺は女をひとり残し、ライブハウスから、逃げるように走り出た。


★★


キーキーと耳ざわりな音がしている。


公園に入ってきた俺をみつけて、嬉しそうに笑い、乗っていたブランコからさっと飛び降りた。


今日は髪をたらしているせいか、いつもより、大人びている。


珍しく、小さな唇は、薄いピンク色で彩られていた。


ジーンズとTシャツは相変わらずの組み合わせだったけれど、どことなく、仕草に艶がある。


わけのわからないイライラが俺を襲う。


先輩に愛されて、先輩に大切にされて、先輩の腕の中で女になったのだろうか。


「なあに話って?」


「先輩とつきあってんの?」


「突然、なんなの?」


「ライブでおまいら、できてるみたいだったから」


「違う」


「違う?あんなに、いやらしい顔して先輩みてたくせに?」


「どうしてそんなこと言うの?」


「・・・もう、先輩とやった?どうだった?うまかった?」


「ミハシ君・・・」


俺は何を言ってるのだろう?


何をしているのだ?


なんのために、彼女を捕まえ、問い詰める?


そんな権利もないのに、いたぶり、ぐさぐさと傷をつくりあげ、それをさらにえぐる。


「ハナイ、俺のこと好きだって言ってたよな。本当は、好きだって言ってくれる男ならだれでもいいんだろ」


泣き崩れる、ハナイ。


すすり泣き、うまく呼吸ができないようで、苦しそうだ。


震える彼女を抱きしめてやりたいが、傷つけたのはこの俺だ。


可憐な花を俺が残酷に手折ってしまった。


ハナイは、絶望したように、俺を見上げた。


「好きなのは、ミハシ君だけ・・これからもずっと、あなただけ」


ハナイはそうつぶやくと、一切の感情を捨てたような顔になった。


そして、それきり、一度も振りかえることなく、行ってしまった。


こぼれ散る涙が太陽に反射して綺麗だった。


この身体中がバラバラになっていくような喪失感は何だ?


吐き気がしそうなくらいの自己嫌悪をどうすればいい?


俺は一体何を失った?


追いかければいい。


だが、俺にその資格があるのだろうか。


何も持たない俺なのだ。


怪我を理由にすべての可能性からから逃げているような情けない俺なのだ。


沈む夕日の中、俺はベンチにぐったりと座りこんでいた。



★★


残業続きで疲れて、マンションに帰ると、郵便箱にエアメールが入っていた。


差出人はハナイだった。


何もかも俺がぶち壊したあの日から、もうどれくらいたったのだろうか。


やりたいことをみつけるために、ただひたすらにがむしゃらに走り続けてきた。


封を切ると、小さな絵本が入っていた。


栞が挟まれたページをめくると、複雑な青色がおりなす夏の空の下、キラキラと瞳を輝かせ、白球を追っている少年の姿があった。


俺は目を閉じて、いつかグランドで俺が貰った歓声ともう二度と戻らないかけがえのない日々を想った。



お互い好きなのに、時に、結ばれない恋がある。


どこにいても、同じ空を見上げ、変わらぬ愛であなたを見守っている人がいるのかもしれない。


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