「泣くなよ、もうやめろよ、そんなやつ。俺が忘れさせてやるから」


「やだ、触らないで」


私の肩に触れたカザマ君のその手を思わず振り払ってしまった。
わけもわからずそうしていた。


驚き、深く傷ついたようなカザマ君の唇はわななき、行き先を失った指が怯えたように震えていた。


「ごめん・・」


「・・・こっちこそごめん。馴れ馴れしくして悪かった。俺じゃだめなのわかってたのに・・」


「本当にごめんなさい・・」


彼が浮気をするたびにバイト仲間のカザマ君に泣きついていた。


勤労学生のカザマ君は朝な夕なバイトと勉強で疲れているはずなのにただ愚痴るだけの私に嫌な顔ひとつしないで話をきいてくれた。


いつのまにか感謝も忘れ当たり前のように彼の貴重な時間を奪い取っていたと思う。


自分を好きだと言ってくれるカザマ君に甘えるだけ甘えてあげくのはては容赦のない拒絶をしてしまった。


あまりの自分の身勝手さに吐き気をおぼえるほどだった。


いたたまれず何かいいたげなカザマ君から逃げるように背を向けた。


★★


私とカザマ君はホールで仕事を一緒にしていてもいつか視線を合わせることもなくなっていた。


おはよう、おつかれさま、会話も必要最低限しかしなくなった。
一緒に帰ったり食事に行ったりすることももうなかった。
それを寂しいと感じている自分に戸惑いあきれた。


「カザマさん、かっこいいですよねえ。彼女とかいるのかな」


バイト仲間の最年少トワちゃんが休憩室ではしゃいでいる。


抹茶のアイスを食べながら私を手招きする。


「彼女?わかんないけど。トワちゃんのタイプ?」


「はい。ストライク。ど真ん中。私年上好きですし。長身でさらさらの髪の感じとか、いいですよね。細身のパンツとか腰にまいた黒のエプロンとか超似合ってるし。ギャルソンって感じですもん」


「そうか。惚れちゃったんだね」


目をキラキラと輝かせ頬を薔薇色に染めカザマ君を愛しく思っている様子のトワちゃんをみていたら頭が真っ白になった。


聞きたくない、おもしろくない、耳を塞ぎたい、もう耐え切れないと感じていた。


★★


「どうした?拒否かよ」


彼はおもしろそうに笑って、強引に私の顔を上げさせ唇を奪う。


「いやっ」


さすがに彼は不機嫌そうに形の良い眉を顰めた。


「ふーん、じゃあ、他の女のとこいこうかな」


「行けば」


「何?怒ってんだよ」


「・・・なんでもない」


脳裏に浮かんでいたのは、カザマ君とトワちゃんが二人仲良く店を出る何気ない日常のひとこまだった。


ここのところ見慣れた光景ではないか。


そうだ特別なことではない。


私は首を横にふり二人の姿を追い払う。


慣れ親しんだ彼の香水を嗅ぎ取るように彼の首に腕をまわした。


「その気になったんだ?」


苦笑をひっこめて男の顔になった彼がカザマ君の幻影を引き裂くように乱暴に私を押し倒した。


★★


バイトが終わりカザマ君と肩を並べて駅までの道を歩いた。


トワちゃんは友達に呼び出されたらしくあわてていたけれどもカザマ君に「あとでメールするね」と親しげに耳元で囁き笑顔で手を振り先に帰ってしまった。


「カザマ君トワちゃんとつきあってるの?」


「つきあってるよ」


カザマ君はためらうことも隠すこともなく即答した。


「なんか私ふられた気分・・かな」


「なんだそれ?」


カザマ君は照れたように笑った。


こんな笑顔をひとりじめにしているトワちゃんが羨ましいと思った。


前髪をかきあげるのはカザマ君の癖だ。


なんどもそのしぐさをみてきたはずなのにゾクリとした。


長くて綺麗な指をみていたらもやもやと落ち着かない気分になった。


あの指に触れてみたいと思った。


あの時邪険に突き放した指を今度は欲しがっている。


「カザマ君、忘れさせてくれるって言ったよね」


「・・・言ったよ」


「今も?」


「・・・もう遅すぎる。トワはね、俺の手を取ってくれた」


今日は満月だった。


涙がこぼれおちてこないように私は空を見上げ続けた。



運命の輪に乗り遅れてはいけません。
もう二度と手に入れることができないものもあるのですから。



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