自分の中でしっくりと来る本に出会って、少しだけ希望を見出したような気分になった私。

まずしてみようと試みたのが、
少しずつでも成功体験を積んでいく事でした。

自分の心と体の調子を慎重に見つめ、感じ、
特に調子の良さそうな日を選んで、
まずは元旦那さんと一緒に外に出てみて、散歩をしてみたり、ショッピングセンターに行ってみたり。

それらが大丈夫だったら、外食をしてみたり。

それも大丈夫であれば、次は一人で少し出かけてみたり。

ああ、大丈夫だった。
出来た。

という成功体験を積んでいくことによって、予期不安を軽減させていって、発作が来る頻度を減らしていきたいと考えました。

行動療法というやつなんですかね。

ただしこれは、パニック発作が定期的にやってきている段階では特に調子の良い日を見極めないと本当にダメで、
家を出ようという段階で、なんかちょっと調子悪い…と少しでも思えば、
無理して出掛けたりすると必ず発作が起こりました。

これ、今でもそうです。

そんなふうに一進一退しながらも、少しずつ出来る事が増えていきました。

少しずつ、短時間ずつではありますが、本当に仲の良い信頼出来る友人ならば、会う事も出来るようになりました。

この時、やはり投薬だけに頼らず、行動療法もしていかなればならなかったんだなぁと改めて感じたものです。

家事も少しずつこなせるようになってきてはいましたが、
どうしても、料理だけは恐怖感を拭い去る事がなかなか出来なくて、
本当に簡単で、食中毒を起こさなそうな食材を使ったような料理しか作れず、
無理に料理をしようとすると、また具合が悪くなってしまう…というように、

それだけは本当に前に進むのが難しかったです。

元旦那さんは、少しずつ出来る事が増えていった私に、よかったねと言ってくれていましたが、

少しずつ、疲れた顔をするようになっていました。

それはそうでしょう、彼の負担は相当なものだったと思います。

体調や気持ちの起伏が激しくなっている私に気を遣い、
日勤夜勤を繰り返して生活リズムも狂う中仕事をし、
長時間通勤を毎日繰り返し、

それでも疲れて家に帰れば食事も用意されておらず、寝込んでいる私がいる時もある。

そんな時は、次第に

はぁ……

と、深いため息をつくことも増えてきていました。

彼はとても強い人でした。

婚約時からそのくらいの時期まで一年以上も、
酷い精神の病を抱えた私のそばで、決して責める事なく、メンタルを引っ張られる事もなく、
支え続けてくれたのですから。

だけど、この先いつまでこんな状態が続くのか、
どこまで一方的に支え続ければいいのか。

若かった彼には重荷すぎたでしょうし、
当然のごとく、疲れてきてしまっていたのかもしれません。

それに加えて、正直なところ、
私達はセックスレスでした。

病気が一番酷い時は当然お互いそんな気分になれず、
そのような空気になる事もなかったのですが、

少しずつ出来る事が増えた事で、愛情を確かめたかった事もあり、私はもう大丈夫だからと何度か私から切り出してみましたが、

行為に至る事はありませんでした。

そんな状態がしばらく続き、不安になった私は、
なぜなのかを恥ずかしかったけれど、勇気を出して聞いてみました。

「そんなふうに言われたら、余計出来ない」
「antiは彼女から奥さんになって、頭が家族っていうカテゴリーになってしまって、そういう対象に見づらくなってしまった」

と、言われてしまいました。

この時期あたりから、私達夫婦の関係がおかしくなり始めたと思います。

この時は、彼が悪いわけでも、私が悪いわけでもなかったのだと思います。

ただ、病気がこういうふうにしてしまったのだと思います。

だけど、ここから、もっともっと、私達の関係は悪化してしまう事になるのです。