ほんの数分まで僕は、コレを「小生日記」だとホンキで勘違いしていた。
結構な数の知り合いに、「乙一の新作、小生日記買ったぜぇぇぇえええ!!」と言い触らした直後であった。
ショックだった。ガクリと膝を突くほどの。
しかも「え?なに?」と聞き返されたので。
「小生日記だよ!日記!脳みそに刻み込めこの○○野郎!(←とても尋常でない単語」
と優しくレクチャーしてあげてしまっていた直後でもあった。
ショックだった。しかも「○○野郎(とても笑顔で対処出来ない単語」を差し上げた御仁は女性である。
2重の後悔と懺悔が僕を瞬く間に支配していくのを感じた。
身体が崩れ落ちそうだった。いや半分くらいは崩れ落ちたのかも知れない。なんかスースーするもの。
しかし、かなりのショックではあったものの、ただ恥ずかしくはなかった。
何故なら、本には帯が取り付いており、丁度「小生物語」の「小生」から下を覆っていたからである。
つまり勘違いしていたことは、決して僕のせいでは無かったのである。
いや、よくよく考えれば勘違いですらないではないか。
帯が「小生物語」の「物語」を隠してしまっていた事は偶然にしろ、少なくともその本を手に取った読者は僕ならずともタイトルを「小生○○」とぼやけて認識するはずである。
そしてその後で、タイトルをよく確認せず中身を読んでしまったならば、いや、ならばではなく、大概そうする筈である。だって僕がそうしたもの。皆もそうする筈である。いや、むしろ皆が皆してそうするもんだから、思わず僕もそうしてしまったのではないか?そう考えると実に辻褄が合点する。民主主義国家が国民に植え付けた多数決システムの心理学的観点からもそれを裏付ける証拠がボロボロと出てくる筈だ。
という事から、僕の羞恥心は全く微動だにせず、ただ、出来るだけ早くタイムマシンの完成してくんねぇかなぁぁあああマジで戻りてぇんだよ助けてくれぇぇぇええええ!!
乙一の『小生物語』を読んだ。
びっくりした。
本の前書きには、これはクソゲーですと書かれていたがそんな馬鹿な。
これが詰まらないとしたら、今まで築き上げてきた人類の歴史など、価値観と共にスコーンとなるんじゃねえの。もうスコーンと。
あまりの面白さに、ものすごい勢いで文字が消費され、ページが減っていく。
ふと気が付くと、1時間だ。やばい。なんともう4ページ目にさしかかろうとしている。
イカンイカン。
このペースでは、ものの数分で読破してしまいかねない。拙い。勿体無い。
ここは一発コレまでの状況をメモリーにセーブして、一旦間をおいてから2度とプレイしないことにする。
そんなカンジの内容。
つーかこの人、こんなの日記としてアップしてたのか。。。w
=ネコ=
追伸:
いや、面白いです。
面白いけど、どーなんだろ的な。
