空想と言うか、妄想と言うかw
僕には、幼い頃からの癖に似た空想実験(・・・いや、机上の空論ではあるのだが)をよく頭に浮かばせる。
何でもいい。
兎に角、インスピレーションを刺激された僕は何かにつけ、それらの延長について空想実験して楽しむ。
例えば、小説なんかを読んでいる途中、「主人公はこうしたが、僕ならばどうしただろう」「ここでコレが見つかったという事は、つまり・・・」等。
アレコレ薄いヒントで推測しながら、しばしばページをめくる手が止まる。
止まったまま、小一時間考えに耽る場合も少なくない。
馬鹿では、ある。
特にどうという事は無い。
余所から見れば尚更である。。。
だが、多分にそれこそが、今日の僕足る人間の脳の創りの殆どを成している筈である。
と、思っている。
好奇心を擽られるモノも、それに対しての探究心も、幼年から今にかけて、さほど変わりは無い。
別に裏づけではないけども。
幼いという事は、つまり無知でもあり、無邪気でもある。
しかしそれ故に残酷でもある。
これは誰でも通る道に過ぎないが、誰もが同じ道筋とは限らない。
僕はどうであっただろうか。
しかし幼き頃の僕はそんな事気にも留めないが、更に、そして実験を始める。
ハエが、いる。
そう、何処にでもいるハエ。
それを捕まえ、羽を毟り取る。幼き僕らには何の痛みも感じない。
(ここでは確かに僕を含め3人の子供がいたのだが、それは互いの罪を和らげる為では決して無い。そして無かった)
その前に、先ずブロックや麻雀の牌等で、3Dの迷路を創る。
簡単なモノから結構に複雑なモノまで。
そしてスタート地点にハエを送り込む。
勿論、実験結果から学んだ僕らは抜け目なく天井もフタもする。
天井の無い迷路では、羽の付いたハエは悠々と逃げ出せるワケだ。
これで、ハエはゴールする事でしか、生き延びる道は無くなった。
残酷な実験はスタートし、僕らは時間いっぱいの満足を得られたのだ。
そして僕はそれから1年ほどした後だったか、ふと前の実験を思い出し、再実験してみる事にした。
すると、どうだろう。
あれだけ簡単だった、ハエの羽を毟れない。取れない。
気持ち悪いのだ。僕は断念した。それ以来2度とする事は無かった。
断言するが、教訓でもなんでもない。不思議な成長だった。
残酷な空想実験は、その後始まった。
きっと想像の域が広まってしまったからだろう。
実際の実験はしない。
だが、出来ることならしてしまうのだろうけども。
ハエが、いる。
そう、何処にでもいるハエ。
それを捕まえ、広い部屋に放り込む。物凄く広い部屋だ。絶大に広い。
ハエは、どうするだろうか。
部屋は天井も床も壁も無い、と錯覚するだろう程広い設定だ。
ハエは飛ぶか落下するかだろうが、どこにも着かない。
例え、ハエがどこかに近づいてもソレが離れるように瞬時に移動するシステムだ。
きっとハエは疲れて落下する。
それ(飛ぶ事を止める)を阻止する為に何らかの電気信号で追いたて、錯覚した危険からハエはひたすら飛んで逃げるのだ。
そして疲れ果てたハエは・・・。
とりとめもない。
勿論、結果は本来の空想実験の名の如く終わる筈も無く、空白のまま。
それが空想、それが妄想。
現実的な解答は不必要であり、しかしやっぱ必要でもある。
実際にSFの域を超え、求める答えにありついた好奇心旺盛な子供もいるだろう。
それを知り、嬉々とする幼心。
今日もまた、世界規模で幼い夢想家たちが、机上な空論を企てるのだ。
僕もやはり、例外ではなく────。。。
=ネコ=