自分の仕事をみていて思うのは、

つくづくぼくのやっていることは選択肢をふやすことだなって。

この世の中には無数の選択肢がある。

仕事だって、会社だって、組織だって、国だって。

でも、ひとは自分の外側にそれだけの選択肢があることを忘れちゃう。

究極生きてりゃ何んとなかなる。

 

事業に行き詰っても、仕事に行き詰っても、

行き詰っていると思っているのはもしかしたらあなただけかも知れない。

あなたの常識が行き詰まりを感じさせている。

 

アフリカの少年はあなたを見て、行き詰ってますね。

そう言うだろうか。

 

あなたを見て、世界中の何割の人が不幸ですね、やばいですね。

そう言うだろうか。

 

選択肢は無数にある。

 

今の司法社会のなかで、悪いことをすると裁かれる。

その時に罰を受けて償う。

その罰は、選択肢を奪われることだ。

 

人間が生きていくうえでの最低限の選択肢しか許されない。

それが一番つらいとされているからそれを罰とする。

 

僕らには選択肢がある。

何を言ってもいい。

なにをやってもいい。

 

こういうことだと思う。

不幸も無数にある。

幸せも無数にある。

 

だから選択肢も無数にある。

 

選択してまちがいだと思ったら、また選択しなおせばいい。

 

ぼくらの仕事は選択肢を見せてあげることだ。

こんな方法もあるんじゃないですか?

こんなやりかたもあるんじゃないですか?

 

選択肢があれば、人は絶望しない。