先日の団地の定例懇親会「炉端の会」で最も熱心に話し込まれたテーマは独居高齢男性の最後の住まいの選択でした。「自宅で頑張るか介護ホームに入るか、どちらが幸せか」という問題。
この日集まったメンバーは7人。最高齢が92歳、最若手が75歳という文句なしの高齢者ばかり。
話の発端は1年前まで熱心なメンバーだったMさんが、娘さんの自宅近くの老人ホームに移られた後、売りに出されていた自宅も買い手が付いたというニュース。
Mさんは奥さんに先立たれた後も3年間一人暮らしを続けられていた。団地内のサークルでも「源氏物語を読む会」「ラウンジ懇話会」「粋談会」「炉端の会」と幅広く中心的な存在として活躍されていた。その間、自宅へ招かれて持ち寄った食材で鍋を囲みつつ酒を楽しんだこともあった。独居なのに部屋はきれいに整理され、要所に飾られた絵画や壺からはご本人の趣味のよさが窺えたものです。
「老人ホームに移ったMさんは現在幸せなのだろうか」が皆の一番気がかりなこと。越された当初はメールも届いていた。「外出が自由なのは良いけれど、話のレベルが合う人が見つからない。団地の仲間が懐かしい」と。
先週、ニュースに接した仲間がメールを打ったけれど返信がないという。「何事もなければいいけれど」と心配になる。
悩んだ末に施設に引っ越された。相談を受けた人も多い。かねて、離れて暮らす娘さんに余計な心配をかけたくないとも漏らされていた。
メンバーにとっても他人事ではない。Mさんの時を思いだしながら「あなたならどうする」と議論に熱が入った。
「最後まで自宅に留まるべきです」という断固たる主張が支配的。
理由の第1は、心許した友達が傍にいること。息子の段取りで息子と距離的に近い鹿児島のサービス付き高齢者住宅に移ったものの、環境が一変し、鹿児島弁の周囲の人とも打ち解けられないという苦い事例報告に共感が集まった。男女比率からすれば女性が多い施設が一般的。男性は仲間に入れず孤立しがちと指摘もあった。
第2の理由は、行動の自由、外出の自由、食事メニュー選択の自由、やりたいことが気ままにできる自由の重視。
入居者のリスクを恐れるあまり自由が制限され、過剰に世話をされることが返って老化を早めるという主張もあった。
近所に多い高額の老人ホームはこの条件を満たしているはずだが、団地を出て、そこに入居された女性も相変わらず団地のサークルに参加されているというから、改めて人間関係の大事さを思い知らされる。
自分で家事・買い物で身体が動く限りは自宅に留まることの利点に話は集中。
皆の意見から察するに、最後まで現在の生活スタイルを変えないで気楽に暮らせる環境を望んでいることがわかる。だから「他人による介護に依存しなければならぬその時までは自宅がベスト」という結論になる。
そのためにも健康維持に努めなければと一同口を揃える。90歳近いのに矍鑠とした独居女性のKさん。周囲から「お年なのにお元気ですね」と言われるのは気に喰わないとおっしゃる。自分の努力を知らないで勝手なことは言わないでという意味らしい。
我々男性にとって独居の老後を生き抜く「一番の課題は料理」で一致。わかっていても難題。「男子厨房に入らず」で育った年代故か。
「うちは共稼ぎでね、若いうちから料理も分担していたよ」とこともなげに言うメンバーもいる。料理は慣れと段取りが大切、調理をしながら鍋も洗うのだとか。
そういえば、あざみ野で最近オープンしたフレンチのお店はシェフが一人で料理を作りサーブをし、マメに鍋や食器を洗っていたな、あの要領か。かなりの修練が必要に思える。
料理修練を怠れば、我々男性も独居となれば介護施設に入るしかないと腹を決めたことでした。それ以上に、「妻よ俺を置いて先に逝かないで」というのが共通した願い。