わたしにとって

1月2日は色んな記憶を紐解いても

新年会と結びつきます。

 

 

おっと真顔

今、1月2日と書いて

遥か、遥か~ナゾの人  昔のことを思い出しました。

 

ええぇ~~ポーン

その事を書いていると、肝心の今書こうと思っていた

新年会のことまで、たどり着くかどうか?

 

 

1月2日というと

わたしの妹の生まれた日なんです。

 

昭和24年ですから、終戦後 間もなくです。

当然、家で産婆さんを呼んでの出産です。

 

わたしには4歳下(昭和15年生)の弟がいまして

24年生まれの妹との間に、この世に生を受けた弟がいました。

その弟は、出生と同時に亡くなりました。

 

わたしは母がビックリするくらい、何時までも泣いたそうです。

 

妹でも終戦4年後ですから、

多分 戦争たけなわな時だったのかもしれません。

 

後から聞いた話ですが、母の出産の時は凄い雨が降っていて

モチロン、乗用車などなく 産婆さんが来るのが遅くなって

出産に間に合わなかったのです。

 

赤ちゃんの声は聞いたそうですが、その後 声がしなくなったとか。

 

 

 

あら、わたし・・・・

今の今迄、こんな事を思い出した事も無かったし

口にしたこともありません、勿論 文字にしたことも・・・

 

只、70年程前は 今と 

色んな意味で、大きく状況は変わっていたのだわ・・って

改めて思っています。

 

これから、コロナ禍で、どれだけ色んなことが変わるかはてなマーク

時々、ふっとそう思います。

 

 

あっ!

最初に戻って・・

何故1月2日で この状況を思い出したか?

 

1月2日はお正月で、

近くの大きなお寺で護摩焚きがあって、近所の友達と行ってたんです。

帰ってくると、赤ちゃんが生まれていて

母方の祖母が来ていました。

 

寒い、冷たい時だったのに 祖母に川で オムツの洗濯をするよう

言われた・・・と、記憶の中で いつも思っていたのですが・・・

 

考えてみると、生まれたすぐの赤ちゃんの オムツの洗濯って

おかしいですね。

 

只、母方の祖母は厳しい人で、おばあちゃんちに行っても

泊まった朝は、必ず 縁側の拭き掃除をさせられました。

 

おばあちゃんが来る日は、きれいにお掃除していないと

障子の桟に指で埃がないか チェックされ 

汚いと、即 掃除しなさい!と叱られたものでした。

 

あらぁ~目   わたしも おばあちゃんだけど

孫にそんなことは言えないなぁ~~

 

昔のお祖母ちゃんは厳しかったのでしょうね。

 

その おばぁちゃんは、70歳過ぎで亡くなり

わたしの母も 73歳で亡くなり

わたしの姉も そのくらいの70代で亡くなり

 

 

わたしは、84歳になっていても、元気、元気で ウォーキングしています。

1年でも遅くまで生きていると・・・時代がドンドン変わって

長生きするのかもね。

 

 

何故1月2日を書こうと思ったか・・改めて書きます。

 

「はやぶさ2」地球帰還 実況ライブ、起きていて見ようと思ったけど

今日は眠いから 無理かな?