本来なら「子爵」のはなしをしたいが・・・

解説したりするほど有名な子爵がいないので、男爵の話を続ける。

 

子爵が登場する作品としては・・・漫画だと、ふくやまけいこの「東京物語」(全7巻。徳間書店)がある。

ウチに全巻あるが購入のきっかけは、アニメージュという雑誌に宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」と共に連載されていたから気に入っただけで、田中芳樹のように「ふくやまけいこさん以外に私の小説の挿絵は任せられない!(ふくやまけいこさんは忙しいだろうから、これで締め切りが延ばせるぜぇ~ぐへへ)」などどいう熱意のある(?)ファンではない。

あと「東京物語」はジブリ製作でテレビアニメ化の会議にもあがっている。

「東京物語」だと小津安二郎監督の名作映画とタイトルが被るので、「大東京物語」とか「東京での物語」とかいうふうにタイトルは変更される予定であった。

(結局ポシャった)

ふくやまけいこさんの絵は癖が無くて、老若男女問わず受け入れられる優しいタッチなので気になる方はどうぞ。

註:漫画家の絵というよりは

「ばばのぼる」←11匹のねこ

「やなせたかし」←アンパンマン

「かこさとし」←だるまちゃん

などの絵本作家に近い気がする。

 

さて日本の男爵だが、滋野清武(しげのきよたけ。1882年10月6日 - 1924年10月13日という人物がいた。

42歳という若さで亡くなっているのだが、日本が太平洋戦争に勝利する世界線(どう考えても米英中とソ連を敵にして勝てるワケは無いが)だと小学校の教科書に載っていたんじゃあないかな~と思う人物である。

この滋野清武は14歳の時に父の死により男爵位を受け継いで(父は西南戦争で活躍した元陸軍中将)いるので、悪く言えば「ボンボン」である。

最初は軍楽隊に興味があったようで家庭教師だった山田耕筰(山田耕筰は現代の・・・坂本龍一とかすぎやまこういちとか氷室京介みたいな立場の音楽界の凄い人)の勧めで東京音楽大学へいくが、ライト兄弟の偉業に触発されて航空機に興味が移る。

パリに音楽留学していた時に飛行機の操縦免許を取得して、一旦帰国して飛行機の教官となるが、日本では徳川好敏(徳川好敏大尉は日本の軍用機で初めて空を飛んだ人。名前からして判ると思うが徳川家のボンボン。プライドばっかり高くて説明下手)と揉めてしまい、第一次世界大戦開戦時に自分で組み立てた飛行機でフランスに行き、あの有名な『フランス外人部隊』第一連隊に編入され戦闘機で戦うことになる。

ここで初期の空中戦を体験し、日本人で最初の撃墜王(今だと敵機を5機以上撃墜した人が呼ばれる。第一次世界大戦の頃は敵10機撃墜必須)となった。階級はフランス陸軍大尉(外国人は大尉までにしかなれない)。

フランスでは新聞に掲載され「バロン・しげの」として定着する。フランス最高のレジオンドヌール勲章をもらい、戦争未亡人のフランス人女性と結婚し、サン・デェグジュペリとも交友あった、第一次世界大戦唯一の日本人エースパイロット。

 

 

戦後、住んでいたモンテカルロから日本に戻り、フランス人の奥さん(ジャンヌさんという)との間に3人の子供が誕生するが、前述したように滋野は42歳で病没してしまう。

当時の日本は外国人との混血児に爵位を継承する事が法律上不可能で、奥さんはフランス語の家庭教師をしながら子供たちを育てた(軍人恩給や寡婦手当ももらえなかった)。

因みに滋野とジャンヌの二人の息子、長男ジャック滋野と次男ロジェ滋野はミュージシャンになっている。

ジャックはジョージ川口らと組んで活躍していたが、1989年に事故死。

ロジェ滋野は高木ブーや仲本工事、ジェリー藤尾らと組んでいた事もあり、運命の女神が「荒井注」の代わりに「志村けん」をドリフターズのメンバー入れ替わりに目をつけていなければ、ロジェ滋野が新メンバーだったかもしれない。

因みに「坂本九」もドリフターズだったし、「小泉孝太郎」も解散時期が5年遅ければ、最後のドリフターズだったかもしれない(本当)