昨日は久々に元嫁と長く話が出来た。

付き合い始めた頃・・・だから、まあ15年ぶりに一緒に話が出来た。赤ちゃんがいたけれどね。

 

二人で

あの時は何であんなことしたの?

どうしてあの時泣いたりしたの?

その後のあれはどうなったの?

などと行方不明のパズルを探してはめ込んでいくような作業をずーっと(昼から明け方まで)した。

途中食事をしたり、赤ちゃんのオムツを代えたりとかしたけど、なんだかんだで眠気も吹っ飛んでしまったよ。

 

私が疑問に思っていたけど元嫁に聞けなかった事のひとつが

「私と一緒に日本に来て幸せだったか?フィリピンにいた方が良かったんじゃあないか?」という事。

 

若い娘を両親の承諾なしに孕ませて(合わせてくれなかったんだよ!)、あまつさえ孫娘二人共々海外へ連れてきてしまったのだから、私は向こうの両親から凄い嫌われているのを知っている。

フィリピン国内に住んでいた時は、何か夫婦間で揉めるとその事実を知った義理両親は「今すぐ離婚しろ」「赤ちゃん置いてきていいから帰って来なさい」「迎えに行くから支度しなさい」と一方的に言ってきた。

私の話なんか聞きゃあしない。

アンタたちが娘を虐待するから、元嫁は実家から400kmも離れた地方に逃げてきたんだぞ。

何にも知らない土地に21歳の娘が、しかもその2年前まで長期入院してたってのに、そこでバイトしてたんだ。誰が追い詰めたんだっての。

そこから「帰って来い!」とか言われて帰る気なんか起こるわけないじゃん(って今の元嫁は笑いながら言う)。

 

元嫁は言う。

「本当に家にいたくなかった。私は退院してきて体力が無いのを知ってるのに、女の子は家事が出来ないとダメって決めつけてて掃除とか洗濯とかやらされてた。貧乏だったから掃除機も洗濯機も無いから辛かった。」

「自分の体調が悪くて寝ていると、怠けてるんじゃあないってハンガーで布団の上から何度もぶたれてた。だからハンガー沢山壊れたよ(笑)」

「食事が日に三回無い時が結構あって、何で無いのって聞いたら『お前が作らないからだ』って。材料ないのにね。」

「でもお父さんはビールを毎日瓶で4本飲んでるし、母は近所のおばさんちに食べに行ってたよ(笑)」

「だから家出した。バギオ(けんぞー第二の故郷。私は何だかんだでここに総計8年以上住んでいる)に着いた時は、もうポケットに500ペソ(約2200円)しかなかった。住み込みのバイト探したよ。運が良かったからすぐ見つかったけど、オーナーさんからは体力なさそうだなって嫌われてた。奥さんからは良くしてもらってたけど、すぐ(オーナーが)離婚して追い出されちゃった」

*けんぞー註。オーナーは私も何度か会ってはいるが、新しい奥さんは元嫁と近い若い娘で抜群に綺麗な人だった。オーナーは私より10歳以上年上である。

 

・・・知らなかったよ。なんで15年も言ってくれなかったの?

「新しくできたボーイフレンドにそんな事話す人いる?」

「心配させちゃうじゃん」

「言わないよ。恥ずかしいし」

「ああ、私はいい生活、普通の女の人の生活が出来るって思ったから、(変な事言って)自分からそれを壊さないよ」

「彼氏日本人!サイコー!フィリピン人女性は日本人とかアメリカ人と結婚するのが夢」

「けんが日本人だから結婚したんじゃあなくて、けんぞーが好きになったから結婚したんだよ(笑)」

「夢の一つは叶ったよ。離婚するとは(あの時は)思わなかったけど(笑)」

「日本に来れて幸せ。あのままフィリピンにいても適当な男の子供を産んで、結婚もしないでその子を育てて、気が付いたら皺のおばちゃんで、周りへ文句ばかり言ってて、貧乏のママ死んじゃう・・・みたいな人生だったと思うよ」

「私は自分が病気になってなかったら、近所の男の子か友達のお兄さんとかに半分犯されるみたいに妊娠して、愛の無い出産をしてたと思う。フィリピン人女性そういう人沢山いる。私の友達にも15歳で出産みたいな。でも若すぎるから子供は(戸籍上)親の子供にしちゃうの(笑)」

「今になってけんぞーから『日本に来たのは良かったか?フィリピンに住んでいてフィリピン人と結婚した方が良かったんじゃあないか?』って聞かれると思わなかった。日本に来て良かったです。日本はいい国です。お巡りさん賄賂受け取らないじゃん(笑)」

「私あと少し離婚するの待ってたら日本に帰化できたのよね。モッタイナイ!今度はガマンする。もうおばちゃんだし、次(もう一回再婚)は無いから」

 

今すぐ離婚するなら戻ってきていいぞ。

「やめてよー(笑)もう赤ちゃんいるよー。ムリよー」

「でも、ありがとう。けんぞーは私のファミリーです。フォーエバーです」