「おもてなし」
私がしてさしあげることに対して
「もてなす」
というのは、
少し傲慢な気がする。
どんなことをしても
相手が「もてなされていない」のなら、
それは「おもてなし」ではない。
「相手が喜ぶだろうな」
といくら思っても、
結果気分を害せば
「もてなし」ではない。
つまり、
正しいのは、
いつも受け手側にあるということ。
なぜか、
最近の論調として
「正しい『おもてなし』とは」
「心のこもった『おもてなし』をするには」
という
してあげる「おもてなし」がもてはやされているようでならない。
だから、
おもてなしの本を読むと
違和感がある。
なぜ、あなたの決めた心地よい状態を「おもてなし」だと決めなければならないのか。
学校の先生が
「社会はお前たちが考えるほどあまくない」
と言うのと同じこと。
「学校以外の社会を知らないお前たちが、社会のことを語るな」
と言われて当然なのである。
本日もお越しいただきありがとうございます。
人は、嬉しいと思うことを表現しない。
特に日本人はそうである。
思っていても言わない。
嬉しいことも、悲しいことも。
もしかしたら、
私の日ごろの行動の中でも、
相手を喜ばせていることはあるんじゃないのかなあ。
もっと、自分の思いを伝えないとなあ。
