人生 | 洗濯機で洗いました。

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自分の父が62歳で死んだ。


私は34歳。


父の遺伝子を持つ私なら、62歳で死ぬ可能性がある。


お通夜の前、知人に「早すぎるわえ」と言われた姿を母の横で見ていた私。


私が、あと28年の人生で成すべきこととは何か。


私が現在の私となるまでに、時間がかかった。


親元を離れた18歳、高校卒業の春から、


約10年以上の年月を経て、


今の私になった。


私がやりたいこととは何なのか。


いまだに考える。


友達に子供が生まれ、


おもちゃ屋さんに行けば、


「お子様のプレゼントですか」と店員に話しかけられ、


そんな私が、今、何をするべきなのか。


分からない。


今の仕事を続けるべきなのか、


仕事を変えるべきなのか。


どこか別に土地で暮らすべきなのか。




私は、東京に逃げ出してきた。


田舎者だった。


こんな所で終わりたくなかった。


一丁前な言葉だけを残して、逃げ出した。



東京には、選ばなければ仕事がある。


ヘルパーでもいい。生きていく金は稼げる。


今の仕事をやめても、ぜったいに次の仕事はある。


だから、田舎に帰る機会を掴めない。


今更帰れない。


正直な気持ちでいえば、特に「帰りたい」とは思わない。


あえて田舎に戻り生活するべき理由を挙げるとすれば、


「家賃がかからない分を貯金に回せる」から貯蓄が増えていいだろう、という程度。


それでも、


「故郷に錦を飾る」ではないが、


彼女を連れて田舎に帰るのは気分がいい。


彼女も、「まったく楽しめていない」訳ではない。


これを続ければ、自然に第二の故郷と思ってくれるようになるかも知れない。



私は、東京に来たのは、


故郷の、会いたくない人間に会わなくてすむというのが理由の一つだ。


それは、逆に言えば会いたい人にも会えなくなるが、


それよりも会いたくない人に会いたくない思いの方が強かった。


20代前半の頃は、仕事もそんな気持ちでやっていたと思う。


相性の良くない人がいれば辞めていた。


働くなんてそんな程度。


生きていくお金さえもらえればいいと思っていた感が強い。


だから、人と協力して何かをしようと考えたことなどなかった。


誰かとともに行動したら、


「相手のペースにも合わせなくてはいけない」


「自分が全て」で物事をこなせないから嫌だった。


言葉や態度では、相手に合わせているふりをしていても心は違っていた。


今になって思えば、


それで皆と仲良くなりたいなんて無理な話だ。


それでも、仲良くなりたい振りだけに挑み、


相手に嫌がられ、そんな奴を相手になんかしたくないと、また逃げた。


相手にも悪い部分はあっただろうが、私にも「本当に仲良くなりたい」という気持ちはなかったので


お互い様なのだが、相手のせいにしてきた。


容姿が悪いこともその一因だと思ってきた。


格好良くないから、相手は相手にしたくないのだと考えるのだと思っていた。



今は、違う。本気で自分をさらけだして向っていけば、相手も理解してくれると考えられるようになった。


それでも、容姿で差別する人間はいて、


そんな奴は「相手にするカテゴリーの人間ではない」と思えるようになった。


そう、誰かを信用することは、とても大切なことなのだ。


裏切られるのは嫌だけど。悲しいけど。泣いてしまいたくなるし、何かを破壊してしまいたくなるけれど。



でも、



それでも、人を信じて生きていくべきだと思う。


だって、恋人や友達といれば楽しいんだから。


仕事だって、


プライヴェートのこと以外でも、それは同じことなのだ。



て、


私は、


今だからそう思える。


同じ困難に立ち向かい、達成した喜びがあるから、


仕事をやり遂げた実績があるからそういえるのだと思う。


以前はそうではなかった。


「恥ずかしいことはしたくない」、


そんな気持ちばかりが上位を独占し、


協力する気持ちを持てなかった。



今の私に必要なのは、本当の気持ちを正直に伝えること。


素直な思いを伝えること。


伝えることに少しでも抵抗のあることは本当の思いじゃない。


「恥ずかしい」


という言い訳を抜きにした自分自身として行動すること。


何かを引き受けるなら、恥ずかしさも形振りも捨てて行動すること。




「私らしさ」て何だろう。


て、ずっと思ってきた。


声が大きい。皆に優しい。


でもそんなことって、私以外の人にも当てはまる。私以外のその人の「らしさ」にもなり、


「私のオリジナルではない。だから私らしさなんてないんだ、

自分らしさを出せと言われても、誰かと同じことでしか自分を表現出来ないから、私らしさなんてない」


と思ってきた。


でも、今なら違うと思える。


以前はそうは思えなかった。




だからこそ私は絵を描くことが好きだったのだと思う。


運動神経が悪くて、成績が良くなくても、


私の絵を祖母が褒めてくれていた。


「将来は絵描きさんになればいい」と言っていた。


みんなとは違う絵を描いた。


それは、私が自然と書くもので、好きだからやること。


皆に似せて描こうとして、失敗したりした。評価が低かったりした。



以前の仕事では、写真をたくさん撮った。


前任者、後任者の写真と比較しても分かるが、


どう考えても私の写真が、一番、一枚で大切なことを伝えている。


楽しいという思いが写っているのだ。それは、私が思って撮ったものだから、感じることが出来るだけかもしれないが。



私は、大人のいうことを信じすぎて生きてきた。


学校の先生や親のいうとおりにすることが必要だと思って生きてきた。



でも、私の小学校2年の時の先生は、私の絵をみて


「もっと子供らしい絵を描かないと」と、同級生に私の絵の批判をしていた。


今なら、その先生が3学期からこなくなったので、「先生が教師としてダメだったんだな」と思えるが、


当時の私は、その言葉に怯え、苦しかった。


だから、3学期からやってきた先生が優しくて、学校に行くのも楽しかった。


私が、自分のやりたいようにすると、


批判の対象になるということを2年生の時に体験しトラウマとして残り


生きてきた。


そんな私でも、何度の挑戦することをやめずに生きてきた。何度も失敗を繰り返しながら。





「世の中は失敗することでしか学べないことが多い。


それは、世の中に、どんなに強くても勝ち続けているものがいないことをみれば当然なのかも知れない。


なのに、人は、プレッシャーに怯えてしまう。それもも物事も一部なのに。


そんな人を私はそばで見守ることしかできないでいる。」