壊れかけのRADIO | 洗濯機で洗いました。

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You Tubeより



今朝、8時20分、

中央線は吉祥寺だかどこかの信号機故障で止まっていました。

当然のように、違う電車を乗り継ぎ、新宿に到着しました。

それが、私の現在です。



私は、18歳まで、兵庫県でも田舎に住んでいました。

その頃、私は、「東京に出るんだ!」と、言っていました。

東京がどんな場所なのか。
東京は住める場所なのか。
東京は何をする場所なのか。

何も分からず、田舎者の高校生という時代を過していました。

夜8時以降、開いているお店はない、そんな所で暮らしているのが当然でした。



1994年の春。

その年、私は高校を卒業し、東京へ旅立ちました。

特急電車の窓側の席に座り、ウォークマンを聞いていました。

まだ、当然ながらカセットテープで・・・。


私は、通学で同じ路線の電車に乗って通っていました。

線路の左右は田圃が広がり、春には苗が植えられ、夏の終わりに、

その先の山々と重なるように緑の稲はいつの間にか黄金色に映えていました。

そんな四季を三度繰り返した線路(道)を

今度は、途中下車することなく大阪に向かいました。


今にして思えば、その考え自体が幼い証拠ですが、

私は、

「ぜったい、この土地には戻って来ない!戻ってくるのは盆暮れの帰省だけ」

と、固く心に誓ったものでした。


そんな時、まだ田植えの終わっていない田圃を眺めていると、

ウォークマンから流れてきたのが「壊れかけRADIO」。


 遠ざかる故郷の空、帰れない人並みに♪


というフレーズが、一際大きく聞こえてきました。

今でも心に残っています。

車窓から、確実に過ぎて、去っていく当然の風景を見ながら、少し怖くなりました。

新幹線に乗り換えてからも、何度か、

「次の駅で引き返そうかな」

と、思いました。

でも、私は帰りませんでした。

東京について、私が新幹線から乗り換えたのが中央線でした。



東京で暮らす部屋が決まるまでは、新宿のホテルに泊まり、

夜になる度に、おかしなほど聞こえてくるパトカーや救急車のサイレンに震えました。

でも、不思議と帰ろうとは思いませんでした。


後に、従兄弟に聞いた話では、

「半年も東京には住んでいられないだろう」

と、家族のみんなで話をしていたそうです。



東京に暮らし始めて10年以上の時間が過ぎました。

私は、路線図を見なくても、それがJRだろうが地下鉄であろうが、

たとえ電車がどこかで止まっても、違う路線(方法)で目的地を目指せるようになりました。



思います。私のように何も起こらない人生でも、多くのことが起きていたな、て。


現在、私は、私を私でいさせてくれる相方さんと出会い、

毎日を過しています。


私自身、本当は、何をすれば良いのかまだ分かっていない気がします。

でも、今は、現在を一生懸命生きるのが、とても大切だと感じています。

何かあったら、その時、その何かについて考えるほかないと考えられるようになりました。


「壊れかけのRADIO」は、今でも世の中に流れている曲ですね。

自分の好きな曲が、いつまでも色褪せる事がないのは嬉しいことです。

私は、この曲が、このバラードが大好きです。

そして、私は、

明日も私は中央線に乗ります。