去年の早春、まだ寒さが残るころ。
あら、あなた素敵なベスト着てるのね。
あぁ、これ。ユニクロのベストだよ。
着てみる?
うん。
袖を通したおふくろにはやや大きいけれど、九月にシャツを贈ればきちんとして見えるだろう。
欲しい?
うん。
じゃあプレゼントするから着てね。
乾燥機はダメだよ。
あなたのが無くなるんじゃない?
ううん、まだベストあるから。
その後、会話にベストの話がよくあがった。
寒くなるけれど要らないの?
いいよ、シャツを送ったから合わせて。
母は人前にでる機会もあってタイミングの良い贈り物になった。
後日談
そういえば母は薄い青色が好きだったのに、僕は赤をベースに複数の色が模様を織るシャツを選んでいた。
わたしね、赤が似合うと思わなかった。
擦り切れるまで着てね。
年寄りはどうしたものか、勿体無いからとタンスに仕舞うクセがある。
東京タワーに行ってみる?
むかし、行ったじゃない。
迎えに行くから。
母はシャツとベストを着ていて、その姿はとても似合っていた。
うちはどの辺り?
品川駅を指さして、あの先だけど開発されたからもう分からなくなったよね。
タワーの窓には薄っぺらな雲が浮かんでいる。
タワーを出ると増上寺から秋の香りが混ざりはじめていた。
金木犀の香りだった。