担当してくれていた理学療法士さんが、いよいよ退職の日となった。


きちんと挨拶をしなくちゃと宿題を残したままの日々だった。


いつもより混み合う院内は、腰掛けるのがやっと。


女の先生がね、今日で終わりだからさ。


そんな声も聞こえてきた。

もちろん初診の手続きをして、雑誌をひらく無関係な人もいた。


こんな日にやってきたのはいいが、担当して貰えるのか不安になった。


後任の療法士さんも入り、3人体制になっている治療室の様子も小耳に挟んだ。


男性の療法士さんなら気心が知れているから、伝言を頼むこともできるだろうが。


○○さーん

いつもの明るい声に呼ばれた。


よかった。


もうここで呼ばれることは二度とない。


だけれども、つたえてしまわないことには、おわらないし、はじまりもしない。


また言い忘れるといけないから、すぐに言おうと思った。


うつ伏せになり、なにも見えないうちに。


ありがとうございました。

今日で終わりですよね。


覚えてくれていたんですか?

皆さんもそうみたいですよ。

えぇ、大事のようになっているから驚いちゃって。

何年ここに?

6年になります。


ぐいぐいと指が入ってく。

治せなくて、すみませんでした。

いえ、手厚く治療してもらって。


うつ伏せから仰向けになる。


数分後に終わりの時間となる。


靴を汚しましょうかね。


ヒールじゃなく、登山靴を?


はい笑
ヒールよりはチビだけど、スニーカーよりは少し背は高くなるでしょう。


そうですね、ヒールで付けた筋力があれば里山くらい歩けるでしょう。
高尾、一緒できなくてすみませんでした。


いつまでもお元気で。


○○さんも、もとにもどりますように。


いつもの笑顔だった。


Tシャツに袖を通してカーテンを開けた。


男性の理学療法士さんも

女性の理学療法士さん二人も

そこには、姿はなかった。



お大事に~。


ガサゴソと立てた音が響いたのか、
3人の声がカーテン越しに聞こえてきた。


6年。


僕がこの町に住みはじめたのと同じ月日を居たのか。


その時からなにひとつ見映えがかわらない東京の片隅の町。


春はいろいろありすぎた。

通いのイタリアン店が閉店した。

理学療法士さんも引越しする。

美容師も事情があり店を変わるかも知れない。


東京湾から流れこむ強風が、知り合いを吹き飛ばして行くのかと思案すると虚しくなる。


そんなことないさ。


奇しくも昨夜はビール会議。

ひとりで、あっちむいてホイをやっていた相棒が断定した。


カンコンとLINEが鳴る。

美容師からだ。

もうちょっと我慢してこの町で店をだすと決めたらしい。

根を張る決心をしたようだ。


ほらな、俺がいるからな。と相棒が言った。


別れは重なったが、悪い出会いなぞひとつも無かった。

ガイドの○○さん、今夜もまた飲んでるのかな?


などと独りごちながら、八ヶ岳の本のページを指差してくる。

あぁ、いいよ。


前に進めばまた縁に恵まれそうな気がした。