昨日
高尾山頂で寛いでいるとテーブルを分け合ったご夫妻との会話。
陽射しをたっぷりと浴びる山頂。
ご相席してもいいですか?
ご婦人が声を掛ける。
僕は、どうぞと応え広げた荷物を小さくした。
山頂で汲んだ水は冷たかったが、相棒がくれたバーナーはそれまでのバーナーよりも早く沸騰した。
インスタントラーメンの麺を入れ茹で上がるのを待つ。
老夫婦はきゅうりの浅漬けに爪楊枝を突き刺し、ポリポリと食事をはじめた。
あなた、ビールはいいんですか?
うーん、暑かったから…な。
いや、我慢するかな。
下(下山)で蕎麦と一緒に飲むか。
そうですか。
トイレに間に合わなくなると困るからね。
そう言うとご婦人はおにぎりを取り出した。
するとご主人は、きゅうりの塩気に押されたのかおもむろに立ち上がると売店に向かった。
ラーメン待ちの自分と、旦那待ちのご婦人は黙っていても良さそうなものだった。
お兄さん
良かったら食べて。
急に声を掛けられた目の前には、きゅうりがあった。
あ、あ、ありがとうございます。
いいんですか?
お邪魔したお礼ですよ。
そう言われるままに、齧った。
味は突然の出来事でわからなかったが、美味しいですと応えた。
ご主人が350mlの一番搾りを片手に戻ってきた。
プシュ
プルタブを引き抜くと、豪快に飲み口を当てるが摂取量を超えたのか、顎に向けて幾筋か麦の滝がした垂れた。
実に見事な飲みっぷりだ。
どのくらいを空にしたのか分からないが、ご婦人に缶を渡した。
ひとくちだけ
ごくり、と喉を鳴らす。
ご主人にも、いただいてます。
と、きゅうりを見せた。
お兄さんは一人かね?
はい。
ビールが入ったからかご主人は饒舌だった。
普段は丹沢あたりを歩いているらしい。
あの一番高い山があるだろう。
振り向き指をさす。
蛭が岳
山頂はまだ真っ白だ。
あそこで鹿に蹴り飛ばされ尾根から滑落したんだ。
なんでも先行する奥さんの脇から突然と鹿が跳ねでてきて、驚いた奥さんは尻餅をついた。
鹿の大ジャンプは勢いが良くご主人の頭を一撃。
もんどり打ったまま滑落して擦り傷だらけになったのだそうだ。
奥さんが居なかったら、どうなっていたことやらと。
お兄さんも年をとったらソロは控えたほうがいいさ。
気をつけます、とだけ応えた。
頭の傍に相棒の顔が浮かんだ。
鹿をみて可愛い可愛いと喜び合うバカふたり。
だよな、そんなこともあるのだろうな。
あいつが帰国したら話してやろうと決めた。
俺らはいつまで歩けるんだろう。
そんなこと考える前に歩けよとヤツは言うだろう。
ラーメンのスープを啜るふりをして苦笑いを隠した。
結局、ご夫妻はビールのあてにきゅうりを選んだだけで下山していった。
また、どこかでね。
いい言葉だ。
ビールを飲んだにも関わらずご主人の足取りは確かだった。
安全に下りますように。
遠くの空に飛行機が見えた。
ヤツは今夜帰国する。
早く帰ってこいよ、つまんないじゃないかよ。