つれづれ音楽サロン B級オーディオでクラシック音楽を聴く

つれづれ音楽サロン B級オーディオでクラシック音楽を聴く

2017年に定年退職しました。在職中に集めたクラシック音楽CDをB級オーディオで聴きます。

Amebaでブログを始めよう!

今回はモーツァルト(1756-1791)の宗教曲を聴きます。

 

モーツァルトの宗教曲は、未完の「レクイエム」や有名なモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」以外聴いたことありません。

モーツァルトが作ったミサ曲は全部で17曲(その内1曲が疑作らしい)です。

宗教曲というと、フリーメイソンとは対極にある音楽のようですね。興味津々です。

 

今回は、ブリリアント・モーツァルト箱から次の曲をB級オーディオAセットで聴きます。

ニコル・マット / ヨーロッパ室内合唱団 カメラータ・ヴュルツブルグ他 2001~02年デジタル録音 クリアーな音です。

 

① {ミサ・ブレヴィス K.65(1769年)」 (CD110)

② 「戴冠式ミサ K.317(1779年)」 (105)

③ 「ミサ・ソレム二ス K.337(1780年)」 (105)

④ 「証聖者のためのヴェスペレ K.339(1780年)」 (100)

⑤ 未完の「大ミサ曲 K.427(1782-83)」 (104)

⑥ モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618(1791年)」 (103)

 

 

① モーツァルト13才の作品です。父レオポルドからの指導や先人の模倣などもあったのでしょう。

   いかにもミサ曲以外の何物でもありません。後のモーツァルトの音楽は感じられません。

② 最初の一音から力の入った作品です。

   ミサ曲ですが、後のオペラに通じるものを感じます。

     ①とは違ったモーツァルトらしい美しさに溢れた曲です。

   特に「アニュス・デイ」はオペラのアリアを聴いているようです。これ本当にミサ曲?。

③ モーツァルトは、1781年にウィーンに移り傑作を次々と生み出します。

   ザルツブルグ時代の完成された最後のミサ曲です。

   モーツァルトの音楽そのものです。

     教会という枠を飛び出して自由な音楽を作り出すのだ!、という強い力を感じる曲です。

④ ヴァイオリンやトロンボーンなどの伴奏楽器が活躍する壮大な音楽です。

     後の交響曲などを予感させます。

⑤ ウィーン時代の未完のミサ曲です。

   フリーランスとなったモーツァルトが、大司教命令によるものでなく、自身の意思によって作曲。

   力作です。素晴らしい音楽です。どこを切り取っても生き生きとしたモーツァルトの金太郎飴です。

⑥ モーツァルトの完成させた最後の宗教曲。

   わずか46小節の小品にもかかわらず、聴く者を神の世界に連れて行ってくれる究極の名曲です。

   新型コロナ (まるでトヨタの新車のようですね。) で家に閉じこもっている人に心の安らぎを!。

   どなたかクラシック音楽に興味ない人にも聴いてもらえるようアレンジして流行らせてくれませんか。

 

次回は、古典派 その7 「モーツァルトの人間像について」 です。

 

今回は、モーツァルトがフリーメイソンのために作った曲を聴きます。

 

ブリリアントのモーツァルト箱に「FREEMASON MUSIC」(116)があります。どれも聴いたことがない曲です。

マルティン・ハーゼルベック / ウィーン・アカデミー 他 2002年デジタル録音。

B級オーディオAセットで聴きます。クリアーなよい録音です。

曲順に規則性が無いのでケッヘルNO順に並べ替えます。

また、講談社現代新書「フリーメイスンとモーツァルト」(茅田俊一著 1369)記載のページを付しておきます。

 

以下作曲年、トラックNO、曲名、ケッヘル番号、記載ページの順です。

 

① 1772年  6    「おお、聖なる絆よ」 K148 P.155

② 1785年  12~14「汝、宇宙の魂よ」 K429 P.80

③ 1785年  7     「結社員の旅」 K468 P.189

④ 1785年  9     「フリーメイソンの喜び」 K471 P.189

⑤ 1785年  10    「フリーメイソンの葬送音楽」 K477 P.194

⑥ 1786年  5    「親しき友よ、今日こそ」 K483 P. 200

⑦ 1786年  8    「汝ら、われらが新しき指導者よ」 K484 P.200

⑧ 1791年  11     「無限の宇宙の創造主を敬う諸君」 K619 P..253

⑨ 1791年  1~4 「われらの喜びを高らかに告げよ」 K623 P. 267

 

①は1772年、モーツァルトが16才、ウィーンに出てくる前のザルツブルク時代にフリーメイソンのために作った曲です。モーツァルトがフリーメイソンに加入するのはウィーン時代1784年です。この頃から既にフリーメイソンとは関わりがあったのですね。あまりモーツァルトらしさは感じられない曲です。

②は未完の曲です。なんと壮大な曲名でしょう。雄大で明るい曲です。

③はフリーメイソン入会後初めてのフリーメイソンのための作品です。いかにもモーツァルトらしい流れるような美しい曲です。

④は祝典用の曲です。とても明るい高揚感のある曲です。

⑤は精神性の塊のようなすごい曲です。唖然としてしまいました。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の2楽章葬送行進曲に酷似の曲です。モーツァルトはベートーヴェンより前にこんな作曲していたとは!。絶対ベートーヴェンはこの曲を参考にしているぞ!。ということはベートーヴェンもフリーメイソンと関わりがあったのでは?。

⑥は1786年、ヨーゼフ2世の「フリーメイソン勅令」によりフリーメイソンが衰退にむかう時期の作品です。ヨーゼフ2世を讃える曲ですがどんな気持ちで作曲したのでしょう。

⑦は⑥と同時に作曲。フリーメイソンの希望を誓った内容のようですが、⑥も⑦も明るい曲だけにモーツァルトの心境は・・・。

⑧はまた壮大な曲名です。力強い曲です。

⑨は1791年、モーツァルトが生前完成した最後の曲です。一度聴いたら忘れないモーツァルトらしさ満載の明るい曲です。

 

次回は、古典派 その6 モーツァルトの宗教曲を聴きます。

今回はモーツァルト(1756~1791年)です。

 

モーツァルトの人間像・生きた時代背景・音楽・死因等々興味がつきません。

しかし、どれも知識不足です。

 

そこで、まずは講談社現代新書の2冊を参考にします。

① 「フリーメイスンとモーツァルト」(茅田俊一著 NO.1369)

② 「フリーメイソン」(吉村正和著 NO. 930)

 

私は不勉強のため、フリーメイソン( ここではフリーメイソンに統一します。 )と聞くと、横山光輝の漫画「鉄人28号」に登場するような怪しげな覆面を被った胡散臭い集団と思っていました。

ところが、当時の啓蒙思想と密接に関係する集団であったこと、1776年の「アメリカ独立宣言」署名者の多くがフリーメイソンであったことを知り驚きました。特にアメリカの独立に深く関わったベンジャミン・フランクリン(1706~1790年)がフリーメイソンであった(②P..135)とは・・・。

マックス・ヴェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、<資本主義の精神>の例としてベンジャミン・フランクリンの「時間は貨幣」(時は金なり)を引用しています(岩波文庫 大塚久雄訳 P.40~)。

モーツァルトが生きた時代は、急速に<資本主義の精神>や民主主義が社会に浸透した時代だったのでしょう。

 

古典派の作曲家では、モーツァルトはフリーメイソンに積極的に参加しました。

ハイドンは入会したものの積極的ではなかったようです。

ベートーヴェンの時代、フリーメイソンはフランス革命(1789年~)を引き起こしたと疑われ、縮小解散させられます。

しかし、ベートーヴェンもフリーメイソンと全く無関係ではなかったようです。耳が聞こえなかったというのも当局からの追求を逃れる為のカモフラージュ?。

 

モーツァルトは、映画「アマデウス」で描かれているような、ただの<ふざけた野郎>ではなかったのでしょう。

モーツァルトは、フリーメイソンを通じて当時の最先端の知識人達と交流したのです。アメリカ独立戦争(1775~1783年)やフランス革命の動向も当然に最新情報を知り得たと思われます。

 

しばらくはフリーメイソンや啓蒙思想に関わるモーツァルトの音楽を聴きます。

 

まず今回は、オペラ「後宮からの誘拐」 デアゴスティーニDVDオペラコレクションNO.31 カール・ベーム/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団 1980年バイエルン国立歌劇場ライブ

なんと!ベームの亡くなる前年、御年85才の指揮姿が見られます。足元危なっかしく登場しますが、強奏部分は腕を力強く振っています。

啓蒙君主として知られたオーストリア皇帝ヨーゼフ2世待望のドイツ語オペラです。

トルコの太守(パシャ)セリムが、全く歌わないのと唐突にベルモンテ達を開放するのに驚きます。

トルコ側が西欧側に寛大な対応をするストーリーですが、逆でなかったのは当時の西欧側の限界だったのでしょうか。

 

次回は、モーツァルトがフリーメイソンのために作曲した音楽を聴きます。

 

話は変わりますが、今巷では 「新型コロナウィルス」 が話題になっています。

感染者は増加の一途を辿っています。何とかならないのでしょうか。

そこで、私は天国にいらっしゃる聖徳太子に解決策を伺ってみました。

すると、さすが聖徳太子。すばらしいアドバイスをいただきました。

「消毒大事(しょうとくたいし)」だ。」

なんちゃって。

 

引き続きハイドンです。

 

ハイドン作品は、モーツァルトやベートーヴェンの曲ほどコンサートで取り上げられる機会少ないですね。

私自身もハイドンの曲は、ほとんど聴く機会がなく、知ってる曲はわずかです。

 

しかし、モーツァルトより早く生まれ、モーツァルトに影響を与え、モーツァルト死後も盛んに作曲を行った偉大な作曲家、交響曲と弦楽四重奏曲の父となれば、『もっとハイドンを聴かなくては!』。

 

バーンスタイン・シンフォニー箱に交響曲93番から104番の所謂「ザロモン・セット」があります。94番「驚愕」以外初めて聴く曲です。

その他、今回いくつかCDを入手したので順に聴いていきます。

 

①ザロモン・セット

 B級オーディオBセットで聴きます。録音1958年~1975年。クリアーな音です。なお、録音場所によって低音の量感の違いが聴き取れます。1970年ニューヨーク・フィルハーモニック・ホールの録音は低音が豊か。他の場所の録音は低音が締まっています。

 

 93番の第3楽章に「たたたたーん}なんてベートーヴェン運命っぽい音登場。こっちの方が「驚愕」。

 94番「驚愕」はとてもよい曲です。途中で眠たくなるようなことはなく、びっくりさせる必要ない曲です。

 95番の4楽章はモーツァルトの後期交響曲に負けない素晴らしい音楽です。

 96番「奇蹟」はヴァイオリンやオーボエのソロが印象的です。

 97番の3楽章のティンパニーや4楽章のホルンは「驚愕」よりびっくりします。

 98番の4楽章はロマン派の音楽と言われても納得しそうです。

 99番流れるような音楽が心地よい曲です。2楽章がとても美しいです。

100番「軍隊」副題のとおり勇壮な曲です。2楽章にモーツァルトっぽいメロディが出てきます。

101番「時計」2楽章のメロディは聴いたことがあります。時計のリズムに乗せたすばらしい音楽です。

102番躍動感のある音楽です。3楽章のオーボエが印象的です。

103番「太鼓連打」冒頭の太鼓の音にびっくり。途中でまたびっくり。2楽章には、またもモーツァルトっぽい怪しいメロディが。

104番「ロンドン」「のだめ」で千秋君が指揮者コンクール振った曲ですね。冒頭を覚えています。4楽章は圧倒的な迫力です。

 

 1791年から1795年の作曲です。

 ブラームスの交響曲は、ベートーヴェンよりもハイドンに近いところがある気がします。ハイドンが長くハンガリーのエステルハージ伯爵家に仕えていたことと、ブラームスがハンガリー舞曲を作曲したことと関係あるのでしょうか。

 どの曲も分かりやすく親しみ易い曲です。決して退屈ではなく、高揚感と心癒される音楽のミックスされた世界は癖になりそうです。でも現代の若い人にはアピールし難い音楽で、私のような現役引退した人間向きかもしれません。 

 

 

②オラトリオ「四季」

 B級オーディオBセットで聴きます。カール・ベーム/ウィーン交響楽団。1967年録音。クリアーではありませんが、刺激の少ない聴きやすい音です。

 

 春 4番のアリアに交響曲94番のメロディが出てきてびっくり。 9番の合唱はヘンデルのオラトリオのようです。

 

 夏 17番のアリアがとても爽やかです。19番の嵐の描写はきっと後の作曲家に影響を与えたでしょう。

    20番の合唱にはモーツァルトっぽい怪しいメロディが登場。

 

 秋 23番の合唱は収穫の喜びを歌う雄大な音楽です。 29番はホルンの狩の角笛が聴きものです。

 

 冬 44番 この曲が宗教曲であることを認識させる壮大な音楽です。 

 

 1801年頃の作曲です。

 農作物収穫の喜び、自然や神への感謝、当時の人々の生活が偲ばれる素晴らしい曲です。

 神なき時代・人間が自然を破壊した結果自然が人間に牙をむく時代である現代人からは、もはやこのような名曲は生まれないでしょう。

 

 

③ロシア四重奏曲

 B級オーディオAセットで聴きます。ヴェラーSQ。1965年録音。デッカらしいクリアーな優秀録音です。

 

 37番舞曲のように軽快な4楽章が魅力的です。

 38番「冗談」1楽章冒頭の弾むようなメロディは一度聴いたら忘れません。

 39番「鳥」やはり1楽章の鳥のさえずりのようなメロディが印象的です。

 40番も4楽章の舞曲が見事です。

 41番2楽章のハイドンには珍しい哀愁のあるメロディです。4楽章はモーツァルトが真似したような?。

 42番2楽章も哀愁ある音楽です。

 

 モーツァルトが、1782年出版されたハイドンの「ロシア四重奏曲」に影響され、弦楽四重奏曲第14番から19番の「ハイドン・セット」(ハイドンに献呈されました)を出版したのが1785年。

 「18世紀中頃からの急速な市民階級の勃興および一般に「啓蒙主義」として知られる運動の同時代現象が、この古典派音楽だということである。」(参考書-1 P..96)

 当時のウィーンの市民は、新しい時代の息吹を感じながら、きっとハイドンやモーツァルトの新しい音楽作品を心待ちにしていたのでしょうね。そしてその音楽が200年以上聴き継がれていることはすごいことです。

 現代は資本主義や民主主義が終焉を迎え、社会・経済・政治すべてに閉塞感に満ち溢れています。現代人は、どのような新しい音楽を期待しているのでしょうか。活力?、癒し?、明るい未来?、ノスタルジー?、・・・・・。

 

 ところで「ハイドン・セット」という言葉からは、現役時代にお世話になった昼食「○○丼セット」を連想します。

 2019年10月からの消費税引き上げに伴い、消費税込みの価格を据え置く飲食店も多いと思われます。

 はやい・うまい・やすいに加えて、消費税引き上げ分実質値下げということになります。

 これこそ減額4重奏ハイクオリティー丼セット略して「ハイ丼セット」。なんちゃって。

 

 

④エルディーデ四重奏曲

 B級オーディオAセットで聴きます。コダーイ・クヮルテット。1989年デジタル録音。クリアーな優秀録音です。

 

75番1楽章のフーガのような音楽に意気込みを感じます。

76番「五度」2楽章の優雅さが心地よいです。3楽章の不思議なメロディが印象的です。

77番「皇帝」2楽章がドイツ国歌として有名ですが、他の楽章も素晴らしい音楽です。

78番「日の出」1楽章の冒頭のメロディは一度聴いたら忘れません。4楽章が爽快です。

79番2楽章のラルゴが美しい為「ラルゴ」と呼ばれることもあるようです。確かに美しい曲です。

80番この曲も2楽章が大変美しいです。

 

 1797年、ハイドン64才の時の作曲です。どれもよい曲ばかりです。当時高評価を得ていたのも納得です。

 

 

ハイドンはモーツァルトと親交があり、モーツァルトの勧めでフリーメイソンにも入会し、モーツァルト死後もモーツァルトの妻コンスタンツェとは交流が続きモーツァルトの遺児の留学の世話もしたようです。フリーメイソンについてはモーツァルトの時に詳しくお話します。

 

ハイドンが亡くなったのが1809年。ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」の初演が1804・05年、第5番「運命」の初演が1808年。

ハイドンは1804年頃には健康を害していたようですが、かつての弟子の音楽を聴くことはできたのでしょうか。

 

次は、古典派 その4です。

ウィーン古典派は次の3人。

 

① ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)

② ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)

③ ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)

 

啓蒙主義の時代です。

17世紀にガリレイ、ニュートンらが近代的科学を、18世紀にベーコン、デカルト、カントらが近代哲学を開始。

人類は理性を重んじ、迷信から解放されていきます。

フランス革命が1789年に始まり、その混乱を収拾したナポレオンが皇帝となったのが1804年。

1814年、ナポレオンが失脚し戦後処理の「ウィーン会議」が開催されます。

そんな時代の音楽家たちです。

モーツァルトは「革命以前の人」、ハイドンは「革命後もしばらくは活動していた人」、ベートーヴェンは「革命後の人」(参考書-1P.121)となるのでしょう。

 

ハイドンは3人のうちで一番長寿。

ベートーヴェンは1792年、ハイドンに弟子入りするためウィーンにやって来ました。モーツァルトはその前年に亡くなっています。

 

ハイドンはウィーンで作曲を苦学し、ハンガリーの侯爵エステルハージ家のお抱え音楽家・作曲家となります。

それから公爵の要請により多くの作曲を行います。1790年公爵が亡くなると、年金を支給されウィーンに移り自由に作曲を行います。

2度イギリス・ロンドンに渡って交響曲を作曲、大成功を納めます。弟子入りしたベートーヴェンのことはほったらかし状態だったようです。

 

かわいそうなベートーヴェン!。私のちょっと苦手な粘着質のベート―ヴェンの音楽はこのようにして生まれたのかもしれません。

もし、ベートーヴェンがもっと長生きしたモーツァルトに弟子入りしていたら、全く違った軽い音楽になっていたでしょうね。

 

ベートーヴェンが必死で作曲、何度も楽譜を書き直していたら、モーツァルト先生に怒られます。

「ベート―ヴェン君。楽譜は頭の中にある音楽をただ筆記するものだよ。書き直しなんて信じられない。どう?。私の楽譜の美しさを見たまえ。どうしたら君のようなきたない楽譜が書けるんだ?。それに作曲にかかる時間が長すぎるよ。そんなんじゃ多額の借金を返済できないぞ。」

「モーツァルト先生。私には多額の借金はありません。」

なーんちゃって。

 

さて、今回はハイドンです。

 

ハイドンのオラトリオ「天地創造」を聴きます。カラヤン60年箱(53・54)がありますので、B級オーディオBセットで聴きます。

1966年・1968年録音。グラモフォン・カラヤンの音です。クリアーではありませんが耳当たりの良い音です。

 

イギリスでヘンデルのオラトリオを聴き影響を受け、帰国後の1796年から1798年にかけて作曲されました。

初演は200名の大編成で行われたそうです。初めて聴く曲ですが、ダイナミックな明るい曲で、まるでロマン派の音楽のようです。宗教音楽らしくありません。

将来のワーグナーの出現を予感させます。

モーツァルトやベートーヴェンに比較して、ハイドンに馴染みが少なかったのはなぜだったのでしょうか。

もっとハイドンを聴かなくてはいけません。

 

次回は、古典派 その3です。

 

中世から古典派までの歴史・音楽史を要約すると次のようになります。

 

中世  9C~14C

ルネサンス  14C~16C

宗教改革  16C

バロック  17C~18C前半  (J.S.バッハ 1685-1750年)                   

啓蒙主義  17C後半

近代フリーメイソン  18C

産業革命  18C後半

フランス革命  18C 後半  (ハイドン 1732-1809年、モーツァルト 1756-1791年)

ナポレオン フランス皇帝 1804年

ウィーン会議 1845~1815年 (ベートーヴェン 1770-1827年)

 

西洋の音楽は、キリスト教会のグレゴリオ聖歌から出発し、ルネサンスのポリフォニー(多声音楽)、バロックのモノディー(通奏低音伴奏)を経てオペラが誕生。また宗教改革後プロテスタント(ルター派)教会の音楽から偉大なバッハの音楽が現れ、啓蒙思想の君主・貴族・近代フリーメイソンを背景にハイドンやモーツァルトの音楽が、そしてフランス革命に強い影響を受けたベートーヴェンの音楽が生まれたのでした。

 

この時代までの作曲家は宮廷や貴族のお抱えでした。ベートーヴェンは既に自立し、君主制より共和制を志向していたと思っていましたが、実際は貴族の支援を受け、また王侯貴族に強い憧れを持っていたようです。

 

さて、音楽史では、バロックと古典派の境界はバッハ、古典派とロマン派の境界はベートーヴェンとされるのが一般的です。

 

今回はウィーン古典派に繋がるバッハの子供達の音楽を聴きます。

ブリリアントに {BACH SONS」 という7枚組のCDがありますのでB級オーディオBセットで聴きます。

長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(W.F.バッハ 1710-1784)

次男カール・フィリップ・エマニエル・バッハ(C.P.E.バッハ 1714-1788)

7男ヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・バッハ(J .C .F.バッハ 1732-1795)

9男ヨハン・クリスティアン・バッハ、(J .C.バッハ 1735-1782)

の作品が収録されています。演奏者・録音年月日は省略します。どれもデジタル録音きれいな音です。

 

まずW.F.バッハの管弦楽作品集(6)ですが、父J.S.バッハとはちょっと異質な音楽です。

父の最晩年未完の作品「フーガの技法」はいかにもマニアックな難解な音楽(それがまたとても魅力的)ですが、それとは対照的な耳当たりのよい分かりやすい音楽です。それでも一部(トラックNO.6)に父を彷彿とさせるフーガが登場したりするのは血筋でしょうか。

 

次のC.P.E.バッハはベルリン交響曲集(1)・チェロ協奏曲集(2)・フルート協奏曲集(3)です。父存命中から既に父より世間の評価が高い人だったようです。

これまた父とは全く違う音楽です。

交響曲集は一聴してバロックの音楽ではありません。ハイドン・モーツァルトさらにベートーヴェンの交響曲出現が予感されるような音楽です。いずれも3楽章の交響曲ですが、偉大な父バッハに負けず劣らず、後世に影響を与えたことが分かります。

チェロ協奏曲集は、所々ヴィヴァルディを思わせる(チャカチャカチャカチャカ)が現れバロックの雰囲気も漂っていますが、間違いなく新しい時代を感じさせる親しみやすい曲です。

フルート協奏曲は、現代人の私が聴いても古さを感じないとてもよい曲です。バロックと古典派の間にこんな美しい曲があったなんて!。

なお、ここでフルートを演奏しているのは、日本人高橋眞知子さん( ド素人なので初めて聞くお名前です。すいません。 )です。

 

次のJ .C .F.バッハは交響曲集(7)です。3曲の交響曲が収録されており、最初の曲は4楽章、後の2曲が3楽章です。

ハイドンと生まれた年が同じなんですね。どれも刺々しさのない優しい音楽です。私はベートーヴェンの音楽よりこちらの方が好きです。(ベートーヴェンファンの皆さん、ごめんなさい。)

 

最後はJ .C.バッハの交響曲集(4)、協奏交響曲集(5)です。

交響曲は5曲収録されていますが、いずれも3楽章型式です。どれも現代の鑑賞に充分耐えうるよい曲です。

協奏交響曲は4曲です。ヴァイオリンやチェロ、クラリネットなどのソロ楽器が活躍する楽しい曲です。

 

J.S.バッハの子供たちの音楽を聴くと、当時世間では既に父バッハの音楽が古臭い音楽という評価を受けていたことが分かります。

教会の中での神を称えるための音楽から、王侯・貴族だけでなくブルジョワジーのアマチュア音楽愛好家にも分かりやすい音楽が主流になっていくのですね。

 

次回は、古典派その2 です。

 

30年戦争(1618-1648)後、ハプスブルク帝国ではカトリック以外のプロテスタントに対し、改宗・追放を強行しました。数十万人が国外に逃れたようです。

一方で残留を黙認されたルター派の人もいました。その中には「カノン」で有名なドイツの作曲家ヨハン・パッヘルベル(1653-1706)がいます。ルター派でありながらウィーンのシュテファン大聖堂(カトリック)で数年間オルガニストを務めたそうです。これからはあの名曲を「ちゃっかりカノン」と呼びましょう。

 

さて、1683年にオスマン帝国が中欧に侵攻、ハプスブルク帝国はウィーンを包囲されますが、からくも勝利します。さらに1688年にはフランスとのプファルツ継承戦争(9年戦争)にも勝利したことにより、ハプスブルク帝国は繁栄していきます。

ウィーンはハプスブルク帝国の首都として発展していき、後に古典派・ロマン派の作曲家が活躍するようになります。

一方農村では、農民は領主から貸与された土地を耕作して生活しており、度重なる戦争で増税・軍役の強制等に苦しんでいました。特にチェコやハンガリーでは農奴制が確立され、自由をうばわれた農民の蜂起が頻発したのでした。

 

ハプスブルク帝国の宮廷音楽はフックス(1660~1741)作曲の音楽で知ることができます。しかし民衆の音楽については知るすべがありません。そこでハプスブルグ帝国の音楽ではありませんし時代も少し下りますが(他に見当たらないので)、J .S.バッハ(1685-1750)の世俗カンタータ4曲のCDをB級オーディオBセットで聴きます。コレギウム・アウレウム合奏団演奏のハルモニア・ムンディ2枚組単品CD(録音1964-1968。とてもきれいな音)です。

 

①「コーヒーカンタータ (お静かに、おしゃべりせずに)」  

 西洋にコーヒーが伝来したのは、諸ルートあります。その中の1つが、上記オスマン帝国がウィーンから撤退した時に置いていったというものです。撤退後すぐにウィーンにカフェが開店したそうです。

 このカンタータ(作曲1732頃)に登場するコーヒー大好き娘と止めさせようとする父親が、当時の一般庶民かどうか分かりません。すでに庶民の生活にもコーヒーが浸透していたのでしょうか。バッハもコーヒーが大好きだったので喜んで作曲したと思われる楽しい曲です。

 

②「農民カンタータ (われら新しき領主をいただく)」

 民謡風の旋律が頻出する当時の俗謡・舞曲が偲ばれる貴重な曲、世俗カンタータの傑作です。最初から最後まで親しみやすい音楽です。

 

③「結婚カンタータ (消えよ、悲しみの影)」

 オーボエやヴァイオリンとソプラノの美しい掛け合いが印象的な曲です。式の後の披露宴で演奏されたカンタータなので明るい曲です。

 

④「悲しみを知らぬ者」

 アンスバッハ(ドイツ南部の都市)へ赴く人への別離をイタリア語で歌うカンタータです。なにやら不安げな音楽で始まり、別れを悲しみますが終曲では出発を祝福する味わい深い曲です。

 

 次回は古典派 その1です。

 

「どういう理由か定かではないが、15世紀において、本当に大量の作曲家がここ (ブルゴーニュ公国の中でも、とりわけベルギーとフランス北部の周辺) から生まれてきて、ヨーロッパ各地で活躍することになる。」(参考書1-P.37)

 

このフランドル地方には、デュファイ、オケゲム、ジョスカン・デ・プレ、等々そうそうたるメンバーが出現しています。

15世紀にブルゴーニュ公国は、ハプスブルク帝国の領土となり、音楽の分野ではハプスブルク帝国に強い影響を与えました。

また、ハプスブルク帝国の歴代の君主は、音楽に造詣が深く、作曲・楽器の演奏に才能を発揮しました。

でも、古典前の時代のオーストリア出身作曲家は非常に少ないのが不思議です。

 

ハプスブルク帝国は、オーストリアを中心に周辺のチェコ・ハンガリーを含み、スペインも系列とする巨大な帝国でした。

多くの民族の寄り集まった国でもあり、それが帝国滅亡の原因となったようです。

 

ハプスブルク帝国の君主は、神聖ローマ帝国の皇帝でもあったので、当然宗教改革に対してカトリックを保護しました。

君主・時代により、プロテスタント・ユダヤ人に対して弾圧したり寛容策を採ったりしました。

特に30年戦争(1618年-1648年)は、ヨーロッパ中を巻き込んだカトリックとプロテスタントの争いです。

ハプスブルク帝国は、自領ではプロテスタント勢力に勝利したものの損失も大きく、敗北したプロテスタントは大量に国外に亡命しました。

 

さてここでは、30年戦争時、ハプスブルク帝国のフェルディナント3世に仕えたドイツの作曲家ヨハン・ヤコブ・フローベルガ—(1616年-1667年)、オーストリアが生んだ最初の作曲家ヨハン・ヨーゼフ・フックス(1660年-1741年)のCDをB級オーディオAセットで聴きます。

 

①ヨハン・ヤコブ・フローベルガ— 「チェンバロ名曲集」 グスタフ・レオンハルト 録音:1962年 単品CD。

 トッカータが3曲、ファンタジアが1曲、組曲が3曲、哀歌「皇帝フェルディナント3世のいとも悲しい死を想って」が収録されています。

 作曲家の名前からほっこりしたイメージを持ってはいけません。この人はただ者ではありません。

 J..S.バッハ(1685年-1750年)より70年ほど前に生まれたドイツ人ですが、ブクステフーデと共に、バッハに影響を与えたと思わ れる音楽です。古い録音ですがとてもきれいな音です。

 

②ヨハン・ヨーゼフ・フックス 「皇帝レクイエム ~ フックス作品集」 クレマンシック・コンソート 1991年デジタル録音 単品CD。

  「死者のためのミサ曲~皇帝レクイエム」と関連小曲が収録されています。

  レクイエムとその関連曲のため、明るく華麗な曲ではなく穏やかで哀愁を帯びた曲が中心ですが、どれも心に沁みる美しい曲ばかりです。また、対位法の著作「パルナッソスへの階梯」を残した人だけに対位法も聴きものです。録音もとてもきれいです。

 

 次回は、ハプスブルク帝国の音楽その3です。

 

クラシック音楽「古典」の音楽の中心地は、なんといってもオーストリアのウィーンです。

 

オーストリアと言えばハプスブルク帝国です。しかしハプスブルク帝国に関する知識は全くありません。

 

「ハプスブルク帝国(岩﨑周一著 講談社現代新書)」(以後参考書3と言います。)を読みながら、ハプスブルクに関する音楽を聴いていきます。

 

ヨーロッパの国々は、「神聖ローマ帝国」や「ハプスブルク帝国」などが重層的に絡み合って複雑で、なかなか理解できません。

また、参考書2-P.56に「17世紀(バロック) この時代の各国の王は国内の貴族や領主を治め、国内の統一的支配に成功した。税金を徴収し常備軍を整え、絶対王政を確立する。」とありますが、参考書3には、「今日の研究はこのような見方から距離をおき、・・・近世ヨーロッパの諸国家の多くは、依然として複合(君主制)国家であった。強力な王権による集権的統治は、決してスタンダードではなかった」(P.168)とあります。歴史の評価は、研究の成果により書き換えられるものですね。

 

さて、参考書3に登場するハプスブルク関連の最初の音楽は、マクシミリアン1世に仕えたハインリヒ・イザーク(1450?-1517)の歌曲「インスブルックよ、さようなら」(P74)です。なお、ウィーン少年合唱団は、マクシミリアン1世が創設した、ウィーンの宮廷礼拝堂の少年合唱団が起源だそうです。

 

「インスブルックよ、さようなら ~マクシミリアン1世の宮廷音楽」 の単品CDを聴きます。

イザークの曲が9曲、アントワーヌ・ブリュメル(1460-1520)2曲、ジョスカン・デ・プレ(1440-1521)1曲、ピエール・ド・ラ・リュー(1460-1518)1曲、ルードヴィヒ・ゼンフル(1486-1543)3曲、コスタンツォ・フェスタ(1480-1545)1曲、パウル・ホーフハイマ-(1459-1537)1曲、ヤコブ・オブレヒト(1450-1505)1曲、作曲者不詳4曲

ニコラス・アーノンクールA/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス ウィーン少年合唱団/ウィーン合唱団 1963年録音 をB級オーディオBセットで聴きます。

 

どの曲も典型的な、ルネサンスの音楽です。表題曲も大変美しい音楽です。録音も大変きれいです。

 

次回は、ハプスブルク帝国の音楽その2です。

 

バロック その6です。

 

ドイツのバロック音楽です。

 

「バロック音楽史の見取り図をややこしくしているのは、バッハという「時代の最も偉大な作曲家」が、必ずしも文句なしに「時代の最も典型的な作曲家」とはいえない点にある。」(参考書1-P. 85)

 

「ドイツのバロック音楽」と言えば何と言ってもヨハン・セバスティアンバッハ(1685-1750)です。

バロック時代の他の作曲家の音楽とバッハの音楽はあまりに違い過ぎます。

バロック音楽と言えば、宮廷などでの華やかな音楽をイメージします。

ところが、バッハの音楽には深い精神性があり、同じ範疇に括ることはできません。

バッハの音楽が無ければ、バロックの音楽は「宮廷や貴族のための華麗な娯楽音楽」ということで括ることができたのに・・。

 

でも、いきなりバッハの音楽がこの世に現れたはずありません。

バッハは先輩方から多くのものを受けついでいると思います。それを探りましょう。

という訳で、ハルモニア・ムンディ箱から下記CDを、B級オーディオBセットで聴きます。

 

①(28)J.S.バッハ以前の聖トーマス教会のカントールの作品集

 セバスティアン・クニュプファー(1633-1676) 2曲

 ヨハン・シェッレ(1648-1701)           4曲

 ヨハン・クーナウ(1660-1722)           2曲

   コンラート・ユングヘーネル/カントゥス・ケルン   1992年デジタル録音

 

 クニュプファーは、J.S.バッハが生まれる以前、フランスのリュリと同時代の人ですね。やはり、この時代からドイツのバロック音楽は独特の重厚さを持っていたことが分かります。

 

シェッレの音楽は、フーガが特徴的です。主題が次々と追いかけ模倣し発展していきます。J.S.バッハの音楽に影響を与えていることは間違いありません。

 

クーナウの後任がJ.S.バッハでした。音が上昇・下降を繰り返すフレーズがJ.S.バッハの音楽を彷彿とさせます。特にトラックNO.8の「おお神聖なる時」はJ.S.バッハのカンタータのようです。 

 

 

②(33)パッヘルベルとJ.S.バッハ以前のモテット集

 ヨハン・パッヘルベル(1642-1706)       4曲

 ヨハン・クリストフ・バッハ(1642-1703)      2曲

 ヨハン・ミヒャエル・バッハ(1648-1694)      1曲

  コンラート・ユングヘーネル/カントゥス・ケルン   1992年デジタル録音

 

パッヘルベルは有名なカノンの作曲者ですね。カノン以外の曲を初めて聴きます。

明るい曲調です。まるでイタリアのバロック音楽のようです。これはこれで好印象の音楽です。

でも、J.S.バッハとは異質な音楽のようです。

 

ヨハン・クリストフ・バッハは、J.S.バッハの先妻マリア・バルバラの祖父です。

非常に地味で素朴な音楽の印象です。宮廷で華やかに歌われる音楽というより教会で静かに聴く音楽です。所々にJ.S.バッハの片鱗を聴きとれます。

 

ヨハン・ミヒャエル・バッハは、ヨハン・クリストフ・バッハの弟です。

この人の曲も素朴な音楽です。クリストフ・バッハとの違いはよく分からないくらい似ています。

 

 

③(15)ディートリヒ・ブクステフーデ(1637-1707)ソナタ集

  スキップ・センべ/ カプリッチョ・ストラヴァガンテ  1992年デジタル録音

 

「ドイツ独自のオルガン音楽芸術を受け継いだのがブクステフーデである。」(参考書2-P.65)

「オルガン音楽の伝統は、やがてバッハらに受け継がれる」(参考書2-P.66)

なるほど、トラックNO.1「パッサカリア」や、NO.5「チャコーナ」は、チェンバロの独奏ですが、バッハの鍵盤曲と本当にそっくりです。その他の音楽も渋く内省的で、J.S.バッハに多くの影響を与えたのがド素人の私にも分かります。  

 

しかし、参考書1のP.89-90に記載のように、J.S.バッハの音楽には、作曲の心得がある人間だけが理解できる複雑さと、神学上の背景があります。キリスト教の理解がどうしても必要になります。

 

バロック音楽の次は「古典」です。古典の時代の中心地はウィーンです。

オーストリア・ウィーンといえばハプスブルグ帝国の知識が不可欠です。

 

という訳で、少し回り道をして、次回はハプスブルクに関わる音楽を聴きます。

その次は、西洋音楽の根底流れるキリスト教に深入りしてみたいと思います。

ほとんど空中分解寸前ですね。