(奇し(くすし):古語で神秘的・不思議であるの意)
 
伊達武将隊の『支倉ないと』で現存する最古の仙台絵図『奥州仙台絵図 正保2年』を勉強したんで、これ使ったりして……
 
仙台に伝わる怪異・妖怪・伝説・奇談・民話などを
好き勝手に綴るのが
『仙臺奇し(せんだいくすし)』
 
ってなわけで、前回に引き続き、仙台城周辺怪異・妖怪をご紹介。
ちなみに前回のブログはこちら↓
 
 
 
◯猫坂
大町一丁目の先から仙台橋(大橋)の方へ下る坂を『大坂』といい、その中ほどから花壇の方東側崖に沿って下る坂がある。
 
 
昔、この坂の辺りに歳を経た三毛猫『怪猫』がいて、道行く人をばかしたり、害をしたりしたというので三毛猫『猫坂』といわれていたんだとさ。
 
 
ちなみに、いつの頃からかは分からないけど、この猫坂の東側、大町からすぐの下り口に、仙台空襲の時まで、二階建ての三軒長屋があり、北側の一軒はおばけくん化物か幽霊が出るといわれ、空襲でその辺り一帯が焼けるまで、戸が閉ざされた空き家のままだったという……。
 
……それって、
血血まみれで四つん這いになって歩く母親と、白塗りでパンツブリーフ一丁の息子が住んでたんじゃね……?
:(;゙゚'ω゚'):ガクガク…
 
(この地図は1912年・大正元年の地図)
 
……あの……大きな赤い円の中に小さな赤い円がある辺り怪しくね?
この辺りだろうか?
三軒家が並んで建ってるのにちょうどなスペース……。
(僕ぁ、地図オンチだからなぁ〜なかなか分からんのじゃ〜)
仙台版呪怨の家
 
 家に入ったら、逃げられませんよ……。
 
手厚くて、モリモリのおもてな死されます。
 
 
ちなみに、ちなみに、
他県ではどうか分かりませんが、仙台藩の侍達には『屋敷替え』という面倒くさい慣習(?)がありまして、
 
1664年・寛文4年の絵図では、
 
(この絵図は1664年・寛文4年の絵図)
 
伊達藤五郎成実様の官位は『安房守』だったので、地図で『伊達安房殿』と書いてあるのが成実様の御屋敷だったなら、
『伊達藤五郎成実様』の御屋敷と『片倉小十郎景綱様・重綱様の御屋敷がお隣同士で三毛猫猫坂の向かいということに……???
 
 
どっちにしろ、御二方御屋敷三毛猫猫坂の周辺だったわけで……
 
三毛猫化け猫に悪戯されなかったんでしょーかぁ?
 
 
更に時代が下り……
1868年・慶応4年の絵図では、
猫坂の向かいには『伊達藤五郎様』のお屋敷が、
広瀬川を挟んだ反対側の斜め向かいには『片倉小十郎様の御屋敷があったのです。
 
(この絵図は1868年・慶応4年、明治元年の『幕末の頃の仙台絵図』)
 
 
 
 「たまには、亘理の殿様をからかいに行くべかニャ〜
それとも白石の殿様の方をからかいに行くべかニャ〜」
 
 
……なんて三毛猫ニャ〜
 
 
 
 
◯芭蕉の辻・殿様の行列
 
藩政時代、『芭蕉の辻』は仙台のメインストリート
藩の制札をかけた札場もあった。
 
 
昼間は人々が行き交い賑やかで、この辻の四つ角には、白壁に瓦屋根の城郭風の建物がそっくり同じに建っていて、屋根の上には龍の飾りが付いていて、当時は仙台の観光名所でもあった。
 
 
それでも、ちょっとした裏通りや夕刻になると、人通りが絶え狐お面が姿を見せていた。
 
飲食街となった現在も、この近くの通りに狐お面狐小路』の名が残っているくらい、当時の仙台には狐が多く出没し、狐にまつわる昔話も多くある。
 
 
そんな芭蕉の辻で、ある夕刻、一人の按摩(あんま:マッサージ師。当時も目が不自由な人が多く就く職業だった)が通りかかると、
 
「下におれえ!下におれえ!」
 
と、先払いの声が聞こえ、馬の蹄の音も聞こえてきた。慌てて土下座をしていると、暫く行列の物音が続いた。ようやく行き過ぎたので、ほっとして立ち上がり歩き始めると、またも
 
「下におれえ!下におれえ!」
 
の声。「やれやれまたか」と土下座する。行列続く、立ち上がり歩く、また先払いの声……と、
何回となく続いたので
 
「おかしい……
こんなに何度も殿様の行列に行き当たるもんだべか?」
 
と思いつつ、土下座を繰り返すうちに、東の空白みかけたらしく、を伝える鶏の鳴き声が聞こえ、殿様の行列も絶えてしまった。
 
それは、その辺りでも有名な名のある狐お面騙されたんだとさ。
 
狐お面コーン!!
 
 
仙台にいた化け狐達は、今は何処に行っただろうか???
400年くらい軽く生きられるなら……
 
 
……蔵王キツネ村?!
普通の狐のフリをしてちゃっかり居たりして。狐お面
 
もし、白石市にある『蔵王キツネ村』に行く時には、紛れ込んだ化け狐に化かされないよう気を付けなされよ。
 
狐お面コン、コーン!!