んで、コピった。
「もう閉館すっから帰れ」ってアナウンスの中で。
帰宅してコピってきた『仙台藩家臣録』をよ〜〜〜く読んでみたよ〜ん。
まずは、
◯◯(←姓名)勘七。
勘七さん。
まぁ、勘しっつぁん。
『私先祖伊達御譜代曽祖父は◯◯(←姓名)越中と申、』
って…おお〜っ!!
御譜代っっっ!!!
御譜代って言うのわぁ、
仙台藩祖伊達政宗公が岩出山から仙台に移る時、家族・一族共々政宗公にくっ付いてきた家臣や商人達のことで、仙台藩の中では特権階級〜〜のこと。
勘しっつぁんのじいちゃん名は越中さん。
まぁ、越ちゅん。
越ちゅん、出自はなかなかいいじゃん。
『晴宗様へ御奉公仕候由承伝候。』
ふむふむ。
伊達晴宗様は、お屋形様(伊達政宗公)のおじんつぁま(お祖父様)。
越ちゅんは、お屋形様のお祖父様に召し抱えられたんだねぇ。
中略して
『貞山様被下置、随て御奉公仕候処、白石御陣之時分、屋代勘由纏鉄砲之者百人此度御陣中引廻御用立可申者為御意被仰付被下度申上候得ば、豊後壱人にて扱可申由被仰付、百人之者壱人にて御陣中引廻申候て、其敵方にて物頭仕候郡図書と申者組打に致、…』
略してねぇか。
かいつまんで分かりやすく書くと、
貞山様(お屋形様:伊達政宗公)の代の時、白石での合戦の時に、越ちゅん(文中の豊後は越ちゅんのミドルネーム)が屋代何ちゃら〜つー鉄砲隊100人相手に越ちゅん一人で引っかき回し、敵方の何ちゃら〜つー奴と組み合って戦ったぁー!!
…ってな事が書いてあんのよ。
越ちゅんが勝ったわけだ。
越ちゅん、やったね!大活躍
ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
イェーーーーイ!
…って、待て、待て、
待てーーぃ!!!
鉄砲隊100人相手に、越ちゅん一人でぇ??
…… ( ̄ー ̄)
盛ったな。
……盛ってるだろ?この話。
臭う。
臭うぜ……。
怪しいぜ〜。
越ちゅんと勘しっつぁん。
『義山様御部屋之時分御大所方万事之吟味可仕由被仰付、江戸へ被為相登、一両年相詰御奉公仕候内、中気相煩申に付、御暇被下御国へ罷下、〜』
ふ〜ん。( ̄* ̄ )
義山様っていうのは、お屋形様の御子息、二代藩主伊達忠宗様の事。
『義山様御部屋』つーのは、現代の会社で言うところの…多分、◯◯課?
みたいな?
感じ??
『大所方万事の吟味役』つー役職に就いてたらしい。
まぁ、二代藩主忠宗様に近い部署での雑務。
みたいな?
感じ??
そんで、江戸に栄転〜
でも、病気になって仙台に帰って来ちゃった。
『義山様御代寛永十五年死去仕候付』
二代藩主忠宗様の御代の時、
寛永十五年に越ちゅん、お亡くなり〜〜
さよなら越ちゅーーん!!!!
(。-人-。) ちーん。
跡を継いだのは、息子、
助右衛門さん。
まぁ、助モン。
この後の文は、ちょっとびっくりしたよ!
『其以後寛永十九年に柴田郡之内中名生村野谷地新田拝領』
この柴田郡『中名生村』をググって調べて見たら、今の柴田町のこと。
「上中名生村」「中名生村」「下名生村」「船岡村」が合併して『船岡村』になり、後に『船岡町』になり隣の槻木町と合併して今は柴田町になったとさだよ。
実は、僕のじいちゃんの実家は槻木にあり、じいちゃんの弟夫妻が船岡に住んでたんだ!
わおっ!近っっ!!
同じ姓の人が隣村に土地を拝領されていたなんて……
臭う。
臭うぜ……。
ちょい、中略して
『寛永廿年に御納戸御用被仰付、江戸御国共二十四、五ヶ年、御当代迄御奉公仕候得共、〜』
えっ…… ( ̄ー ̄)
納戸役???
納戸って、物置きじゃね??!!
確か、越ちゅん『大所方万事の吟味役』だべ?
助モン『納戸役』って……
随分、窓際に追いやられてねぇか?
どう見てもランクダウンだぜ。
まぁ、戦乱の時代が終わって平和になったら、侍は活躍の場がねぇからなぁ〜。
ちょい中略して、
『家督に可仕由男子持不申に付、拙者儀下郡山隼人弟に御座候を聟名跡に仕度由、〜』
って、ヘェ〜( ̄* ̄ )
勘しっつぁん、婿養子なのか。
マスオさんだね。
或いは、
中村主水。「ムコ殿」だ。(←…古いかなぁ、これ。必殺仕事人ね。)
ちょい中略しつつ、
『延宝三年二月隠居願之書物指上候得ば、〜則助右衛門跡式五貫九百三文拙者に被下置、〜』
延宝三年に助モンが隠居を願い出て、勘しっつぁんが跡を継いだんだね。
『五貫九百三文』
知行地一貫文は10石なんだって。
ってか、端数は何ていうのか分からん。
とりあえず×10ってことで。
だから、勘しっつぁんの禄高は、50石と9030……。
なかなかのパンピー下級武士だな、おい。
ってか、なんだかんだって、また長文じゃね?
あれだな。
無駄口が多いんだな、僕ぁ。
( ̄ー ̄)……。
でも、ブログって無駄口たたいてナンボって思わね?
じゃなきゃ、ぼっちの僕は無駄口たたくとこがねぇし、Twitter字数制限あって不便だし。
ってなわけで、長文上等!!!
このまま続行だぁーーーーっ!!!
次いくぜ次っっ!!
◯◯(←姓名)長次郎。
次は、長次郎さん。
まぁ、長さん。
『誰様御代拙者先祖誰を初て被召出候哉、祖父以前之儀は御知行高等も不承伝候』
『不承伝候』って、おい、おい!マジかぁ!!
長さんっっっ!!!
何より家や家柄を重んじた時代に、出自が分からんってアリか?!
特に、仙台藩は家格ってモンを重んじた藩だぜ?!
『拙者祖父◯◯(←姓名)九助儀、貞山様御代は御知行二貫三百五拾文之所被下置、御不断衆之御奉公申上候。』
長さんのじいちゃんは、九助さん。
まぁ九ちゃん。
貞山様はお屋形様(伊達政宗公)、の時代に知行二貫三百五拾文。
20石と3500……って、
低っ!
もっとぺーぺーぺーのパンピー下級武士がいたっ!
『御不断衆』ってのは、『小姓』のさらに下の階級。
鉄砲組衆の事。
これ、伊達武将隊の『伊達歴茶会〜戦〜』に行って分かったんだよ!
いやぁ〜歴史の勉強って、どこで役立つか分からんねぇ。
九ちゃん鉄砲撃ちだったんだね〜。
『親◯◯(←姓名)理兵衛七歳に罷成候節、祖父九助病死仕候。跡式親理兵衛に無御相違被下置且又理兵衛十五歳に罷成候節、』
長さんのおどっつあん(お父さん)は理兵衛さん。
まぁ、理へやん。
そっかぁ、
理へやんが7歳の時に九ちゃんがお亡くなり〜〜
さよなら九ちゃーーん!!!!
(。-人-。) ちーん。
理へやん、15歳で後を継いだってわけだ。
『御同代に於若林、御小姓に被召出候旨御直に被仰付、其砌御仕着料金十七切御加増被下置候処、』
『於若林』は、お屋形様が隠居して住んだ若林城のこと。
もともとはお母上の保春院様(義姫)が住んでいた屋敷をリフォームしたわけさ。
理へやん、小姓として召抱えられたんだね!!
ランクアップだっっ!!
ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
イェーーーーイ!
やったね理へやんーーーー!!
『御仕料金』ってのはね、小姓になると支度金が藩から貰えたらしい。
金が貰えて禄高も上がるってわけよ!
( ̄▽+ ̄*)ふふふっ……
ちょい略して、
『本地二貫三百五十文より二割出四百六十文、取合高五貫七百八十五文被成下候。』
20石と3500 から
↓
50石と7850!!
うおほっ!(灬ºωº灬)
まぁ…ちょっとだけどねぇ……。
どーん!と出世っっってわけにはいかないよねぇ〜
世の中そんなもんだよねぇ〜
『右段々被仰付候年号・御申次不承伝候。』
って、またかよ!
また『不承伝候』かよ!
資料とかあんだろうよ!!
『仍拙父理兵衛延宝四年四月奉願隠居被仰付、拙者に家督無御相違被下置旨、同年六月六日大条監物を以被仰渡、当時拙者知行高五貫七百八十五文に御座候。以上』
んで、延宝4年4月に理へやんが隠居、長さんが跡継いで……
……( ̄_ ̄ i)
終わりかーーーーい?!!!
んだから、資料とかあんだろうって!!
勘しっつぁんみてぇに、
盛ったな。
って、疑うくらいのこと書いとけよ!!
長さんについては、もうこれ以上調べようがねぇわ!!!!
ってか、これ多分藩士達にそれぞれ書かせて提出させてるんだろうけど……
長さん雑じゃね?
『私本 仙台藩士辞典』には、他にも同じ姓名の藩士の名前が書いてあった。
長さんの息子、或は跡継ぎの名前が書いてあった。
利兵衛。まぁ利へやん
ってか、利兵衛って名前にちょっとドキッ!としたな。
僕のひいじいちゃんの名前が『利三郎』なんだよ!
まだ、この時代、親から一字貰ってるべ?
んで、名前からすると、ひいじいちゃん三男っぽいっしょ?
んでも、利へやん息子らしき跡継ぎの名前要助だって……。
何だよ、びっくりさせやがって。
その他
同じ名字で名前が載ってる人達がいあたけど、みんな長さん以下の
ぺーぺーぺーのパンピー下級武士だよっ!!
……あとは、戸籍謄本か除籍謄本だな!!
ひいじいちゃんの利三郎こと利・サブちゃんの戸籍謄本だか除籍謄本が手に入れば、ひいひいじいちゃん・ひいひいばあちゃんの名前が分かりゃ、幕末期まで遡れんだろ。
……だ、だよね?