「できる」と「できちゃう」は全く違います。
大体のことは「できる」よ。
物理的には。
時間はどんな人にも等しく流れているし。
頭を使って手を動かせば大体のことはできるよ。
スポーツとか芸術とかは除くよ??(笑)
けど、心がついてこないことって程度はあれどたくさんあって
あまりにも離れているものを私達は「苦手」というのです。
そして心が動いてなんだかたくさんできたり、なぜだかできちゃうものを「得意」と言ったりします。
だから余計に、「好き」という感情にはまるで大小があるかのような、よりできるから好きとかより知ってるから好きっていう雰囲気があって私は本質的ではないなとも思うのですが。
話を戻すと
大体のことはできるとして、やってきたとして、これからもやっていくとして、自分の時間と気持ちがカツカツになりやしませんか?っていうことなんです。
もっと早くできる人がいる。
もっとその仕事を楽しくできる人がいる。
その学びに時間をいとわず没入できる人がいる…。
代わりに、自分の中でもっとやりたい仕事がある。→やっちゃえる仕事
没入したい学びがある。→没入しちゃえる学び
作り出したいものがある。→作り出したくなっちゃえるもの
だったら、「できる」を「できちゃう」人にお願いすることって、世界がハッピーで埋め尽くされるなと。
ありがたいことに、私も最近色んな人を頼らせていただいております。ほんとに、めちゃくちゃ助かっております。
昔はむりでした。
というか、最近までむりでした。
自分で「できる」ことは自分でやらなければならないと、思っていました。
大体のことが物理的には「できる」だったので、結果人を頼るのが苦手でした。
けれど、最近学びを深めていく中で自分の「できる」と「できちゃう」を受け取れるようになってきてから、人の「できる」と「できちゃう」をより大切にできるようになってきて、
最近は素直に人の「できちゃう」力を頼れるようになってきて、生活の幅や気持ちのゆとりが文字通り180°一変しました。
できることが悪いことではないし、1人でやらなければいけない時もどうしたってあるし、できなかったことができるようになることも素敵だし自分もそれは好きなのですが、気持ちのゆとりがなくなってきたタイミングにおいて、ですね。
1人でそんなに仕事を抱え込まないで、なんて人は簡単に言うけれど、難しいなって思う人が中にいたら、そのためにはまず自分にはなにができて、できちゃえるのか、そんな自分のことを好きになれるような自己観察からはじめてみてもいいと思います。