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私は今まで節穴の目で、光太郎と智恵子の純粋な愛の結晶『智恵子抄』に酔っていました。
智恵子は小鳥と話をしながら、切り絵をして最後は結核になって、死ぬ間際、檸檬をキリリと噛んで、一瞬正気に戻って、とうとう死んじゃった。のかと思ってた。
ところが、事実は違った。そしてそのことを知っている人は沢山いた!!
<ここからネタバレ > というかネタというより真実
「青鞜」の表紙を描いた智恵子は、
平塚らいてうの目には「花のやうな未来を楽しんでいる」「最も美しい女画家」から、一変、その観衆のひとりにすぎなくなっていた。
郷里の寺田医師との縁談が決まりそうであった智恵子に
『いやなんです。あなたの往ってしまふのが』においての、「愛」の衣をまとった「視線」に気が付かず、
自らの夢を、光太郎のいう肉体そのものの上に転位するという決定的な自己欺瞞が、全ての始まりであった。
結婚と共に彼女の精神を破壊する一因となったものに、実家の貧窮から破産がある。
実家宛に書いた智恵子の手紙が全てを物語っている。
「自分という一人の女が、何の財産もない、職業ももたない一人の女が、よしんば親や夫が百万長者でも、女自身に特別な財産でも別にしてない限り女は無能力者なのですよ。まして実家は破産してしまひ、母には別に名義上のものはない。自分はまして生活も手一ぱい。なかなか人の世話どころの身分ですか。」
この気持ち本当に同調できます。無能力者という感じが手に取るように分かる。
今の私のようです。以前は働いていて今は無職。自分は無意味な存在なのでは、と考えてしまう。分かります。
そして貧窮。
高村家も光太郎自身親の庇護の元生活してアトリエも父親が建てた。そう頻繁に親にたかるわけにいかない。
その貧乏を智恵子がなんとも思っていないと勘違いしている。
智恵子が、「東京には空がない」と言ったことが、精神の危機のサインであったのに、決定的に見逃す。詩にして讃え喜んでいる。智恵子は郷里という基盤から剥がされ苦しんでいたのに。
この作品は、智恵子抄に隠された 一人の才能豊かな女性の「首」そのものなのだ。
光太郎は苦しむ智恵子を置いて1ヶ月も三陸地方を取材旅行している。その時の話を草野心平に楽しそうに話し、宮沢賢治も呼ぼうよ、などとお気楽に過ごしている。これは「千恵子離れ」と言われている。
その間に孤立した智恵子は完全に狂ってしまった。
なんという都合の良い男だ。
と思ったら、
「男は女の都合を考へて進んでゆきはしない」などと歌っている。やっぱりな。
狂った智恵子のことを、詩に書くこと自体、
他人事という気も、最初からしていた。
それにしても、
「いや、いや、いや、いやなんです。あなたの往ってしまふのが」は、参るなぁ。上手いなぁ。
しかし、太宰の
「コ ヒ シ イ」には負ける。