ナガサキ     スーザン・サザード   みすず書房

この作品は、『夜と霧』を読んだことを長崎出身の都内の大学の先生に話したことから、長崎市出身の彼からの紹介で図書館で見つけ、その後これは長崎人(今ではそう思っている)としては読むべき、手元に置くべき本だと確信し入手しました。このスーザンさんの取材、事実確認、資料収集の熱意は信じられない程です。この本は実際の資料、統計としての価値もあります。

11年間にも渡る執筆プロジェクトを通して
日本に住んだことのあるアメリカ人の女性が持った疑問

「実績ある高校や大学で教育を受けた私がどうして被災者のことを具体的に何も知らなかったのか   (中略)  そしてその後何十年もの間被災者が味わった痛ましい経験を、実際大部分アメリカ人がほとんど知らないか、または全く知らないのはなぜか」

が、この執筆のきっかけとなった。

この本に書かれていることの中に驚くべきことに私も知らないことがあまりにも多く、日本人として恥ずかしいと思い、それはなぜか。

今、話題に登ることが多い
『報道規制』『報道操作』これによって
私たちは知らなければいけない多くの真実を知らされないまま過ごしていたということがわかった。

アメリカは原爆を作ることに懸命で完成したらとにかく早く投下しよう!ということに意識が向いて、原爆のその後のことは誰も研究していなかった

原爆による影響を、調査団ABCCが行ったが、被災者を裸にし写真を撮り倫理に反するような扱いをし、その記録は25年以上日本に公開されずそれこそ原爆が落ちても壊れないような保管庫にしまい込んだ。フィルムもしかり、公開までに25年がかかった。

写真三枚目の「死の同心円」この中に出てくる地名は全てよく知っているところで、
炎が燃え上がって広がっていく描写は目に見えるようで読むのが辛かった。あの美しい長崎を地獄絵図へと原爆が一瞬で変え、そして、今も被爆者を苦しめている。

ここに多くはあげませんが、
日本政府の体たらく、
広島に原爆が落とされ、長崎にも落とされ9日に天皇は降伏の決断をしたのに、軍部が、戦争継続に望みをかけていた。降伏まで、ソビエト軍は満州サハリン島の日本軍を押し返し、アメリカ軍は740機のB26で都市部を破壊し続けた。15日までのこの無意味な時間!何千人もの命が犠牲となったのだ。

マッカーサーは広島長崎のことを報道禁止条項にした。オーストラリアの記者の記事もマッカーサーによって発表禁止

それが1946年になって、少しずつアメリカ内部の軍部の大将の中に、降伏寸前の日本に原爆を投下したのは間違いだったという意見が初めて出された。

この本は被災者の   谷口、永野、堂尾、和田、吉田(敬称略)の被曝から亡くなるまでのことを、その心情の変化と『語り部』となることの意義が書かれている。
メモが大学ノート20ページを超え、とても全てをお伝えできません。読み終えるのに1ヶ月かかってしまいました。

私の家族の思い出の詰まった長崎

亡き父が娘たちの手を引いて初詣に行った、氏神様の山王神社の情景も書かれていました。

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最後に私の心に浮かんだこと (メモ)

山王神社の片足鳥居は、その後、1本足鳥居、1本柱鳥居と名前を変えられても変わらず、石段の上から、愚かな私たちを見下ろし、その鳥居の後ろには、日本の被爆クスノキが、その枝を広げ巨木となって、神社を緑で覆っている。60年は草木が生えないだろうと言われた爆心地である。

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