■アンパンマンの遺書 (岩波現代文庫) | やなせ たかし

 

あいかわらず、めちゃくちゃおもしろいです。

三越を退職。昔からの夢だった、漫画家を目指したいからとのこと。

それでやっていることは、ひなたぼっこをしたり、犬の散歩をしたり……完全にニートですよね。(笑)

 

でもこのあと漫画家として複数の連載を持ったとのことで、たぶんこの頃も漫画は描いていたのでしょう。

 

だけど代表作があるわけでもなく、漫画家としてはパッとしなかったみたいですが、頼まれた仕事は断らないようにしていたらしく、本業の漫画以外での仕事を次々と依頼されていったようです。

 

僕は全然知らなかったのですが、黎明期のNHKで、立川談志さんが司会の児童向けテレビ番組に「漫画の先生」としてレギュラー出演していたりだとか、永六輔さんの舞台美術を手がけて評判になったりだとか(そのときの縁で、作曲家・いずみたくさんんと知り合い、後に作詞・やなせたかし、作曲・いずみたくで「手のひらを太陽に」が生まれたとのこと)、1年間の連続テレビ映画の脚本を書いていて、やなせさんからの紹介で何度か脚本をお願いした相手がまだ無名だった頃の向田邦子さんだったりだとか(厳しく手直しなどしていたけれど、いま思えば冷や汗もの、とのこと)、ずいぶんと濃密なご縁があったようです。

 

それにしても興味深いのは、様々な著名人と仕事をしたり活躍されていて、自分から頼まなくても次々と仕事の依頼がやってくる状況であったにも関わらず、漫画家としては全然スタート地点にも立てていなかったと、当時を振り返って、ご自身のことを相当ネガティブに書かれていることです。

 

ご自身を評して、「負けず嫌い」という言葉も使われていましたが、漫画家になるということに相当なこだわりがあったのかもしれません。

 

 

■チベットのモーツァルト (講談社学術文庫) | 中沢 新一

 

マンダラあるいはスピノザ的都市、のあたり。

 

「都市は人びとを共同体から引き離し脱属領化して、抽象空間の上に解き放ち、そこを流れる力が自然成長していくにまかせようとしている。」

そのような(理想的な)都市は、かつて実際にはどこにも存在したことはないが。

「都市の抽象空間に力が集められてきたとたん、都市はふたたびそれをコード化し、自由な交通をはばもうとしてきたからだ。」

 

 

「哲学の起源 | 柄谷 行人」にて、自然哲学が生まれたイオニアの地を表現するときに使われていた、自由(イソノミア)という言葉を思い出します。

 

自然哲学が生まれた当時(タレスとかの時代)のイオニアの地は、職人などの自由民が各地から集まる地域で、だから奴隷もいないし、共通の宗教もない。その地が自分に合わなければ、離れていけばいい。気に入った者だけが残る。残った者たちで社会を作り上げていく。そういった地域で、超越的な存在(全知全能の神様みたいなもの)を認めずに、万物の根源は(神様が作ったとかじゃなくて)水(が様々な形で現れているだけ)である、といったような自然哲学が初めて生まれたとのだということです。(というのが、うろ覚えですが、おおまかな僕の理解です)

 

そして柄谷さんによると、そのような社会=自由(イソノミア)は、必ずいずれは僭主制や独裁制に変化していく運命とのこと(うろ覚え)。

 

 

中沢さんが語る、理想の都市と現実の都市は、僭主制だか独裁制へと変化していったイオニアの自由(イソノミア)を思い起こさせます。

 

そして、中沢さんは、密教=神秘的な実践哲学について、更にこう語ります。

 

「神秘的な実践哲学は、無限の多様体たる身体をとおして、力の自然成長性そのもののなかに踏みこんでいくことを可能にしたのである。」

 

無限の多様体たる身体は、理想の都市を実現することができるということなのでしょうか。