アメリカでトマト裁判が行われた。

判決はこの記事の最後に。

 

 

kindleで見つけて興味を持ったので

読んでみたら、面白くて夢中になりました。

 

「世界史を大きく動かした植物」

 

 

世界史を大きく動かした植物

 

面白すぎて、紹介したい話がたくさん!

特に面白かったジャガイモの話

 

 

有毒だと知らずに芽や緑色の部分を

誤って食べてしまうことがあったヨーロッパでは、

ジャガイモは悪魔扱い。

 

裁判にかけられ「火あぶりの刑」に。

食用ではなく珍しい鑑賞用として栽培されていた。

 

 

イギリス

 

 

ジャガイモを普及させようと

イギリスのエリザベス1世は

「ジャガイモ・パーティー」を開催!

 

ジャガイモを知らなかったシェフが調理したため、

エリザベス1世はソラニン中毒に。

 

ジャガイモは有毒だとして、普及が遅れてしまう。

 

ドイツ

 

 

軍隊にジャガイモ畑を警備させて人々の興味をひかせた。

武力で農民に栽培を強要

反抗する者には鼻を耳をそぎ落す刑罰

 

そのかいあって、早い時期から普及した

 

保存が利き、冬の間も食糧になった。

牛はジャガイモが食べられないが

豚はジャガイモが食べられる。

 

こうしてヨーロッパに肉食が広まるようになった。

 

フランス

 

 

コムギに代わるものを募集

ある人がジャガイモを提案

 

ルイ16世と王妃のマリー・アントワネットは

ジャガイモの花を飾りにして普及を促進

 

自営農場にジャガイモを展示栽培

 

昼間は厳重な警備、夜間は手薄に。

興味をもった人々が深夜に畑に侵入し盗んだため、

ジャガイモが普及した。

 

 

アイルランド

 

 

イギリスに先駆けてジャガイモ栽培が進み、

18世紀には主食となっていた。

 

ジャガイモのおかげで人口が急激に増えたのに

収量が多い1種類しか栽培していなかったため、

その品種が病気になり、ジャガイモが不毛に。

 

100万人もの人々が餓死する大飢饉に

 

400万人のアイルランド人がアメリカへ渡り、

労働者としてアメリカを支えた。

 

 

日本

 

 

日本では戦国時代の終わりに航海中のビタミン源となった。

 

 

まとめ

 

 

ジャガイモだけでなく、トマトも

ヨーロッパでなかなか受け入れられなかった。

 

今では当たり前のように食卓にあがる野菜の

そんな歴史を知ることができて面白い。

 

冒頭にあったトマト裁判

 

トマトは野菜か果物かを決める裁判だった

 

「トマトはデザートではない」

野菜であるという判決が出された。

 

当時のアメリカでは

果実に関税がかけられ、果物は無税だった。

 

そのため、税金を徴収する役人は

野菜であると主張。

輸入業者は果物であると主張したというわけ。

 

歴史もこんなふうに学ぶと面白いものです。

 

ジャガイモが食べたくなった

 

 

 

 

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