コロナ禍の不規則な勤務シフトのため、職場でひとりバタバタしている時があります。コロナのせいっていうか、結局のところ上司に振り回されてるだけなので、通常業務、とも言えるけど^^;
やっと一息つけた~というところで、スマホ片手にふとこう思った。
はあぁー
やっぱり。
いてくれないと、困っちゃうなー
かーくんが。
職場の人が出勤していなくても、どうにかしようと思えばどうにかなる(笑)
でも、かーくんがいないと困る。代わりが、いない。どうにかしようと思っても、どうにもできない( ; ; )
時々痛感する依存度の高さにはびっくりしちゃうよ。
かーくん、そろそろ"出勤"してないかなぁ…
してた!!^^
前髪切りすぎて恥ずかしい?何をおっしゃるのでしょう。チャーミングな方だ。満場一致の、かわいいよ!カッコいいよ!似合ってるよ!の声援を送りたいです(╹◡╹)
疲れ目でしょぼしょぼしてるせいか、かーくんに抱えられてるチキンまでニコニコ笑ってるように見えてきました(笑)
かーくんの「持つ」の所作はいつもなんとも愛おしくて、無意識にただ持ってるだけかもしれないけど、抱える、支える、添える、包む、などの温かい情を加えた動詞で表したくなることしばしばです。
ところで私、もう今年が令和何年かわからなくなってまして、ちょっと前まで2年だと思っておりました(°_°)だって和暦を使う機会があまりなくてぇ〜と言い訳。平成の時代からすでに混乱してたけど^^; 令和まだ3年しかないのにこの有様。
こんなんですから333もすぐにピンとこなかったです、、まず平成3年3月3日って何の日?状態。それよりもまず平成3年って、”いつ”だっけ?(汗)→1991年でした。んーそうかーこの頃には、完全に光GENJIから離れてしまっていたんだな。
257の時もそうだったのですが、、、
333 さんさんさん、と読んでました!わ~申し訳ございませんm(_ _)m
これでThank you って読むのかー!勉強になりました♪こちらこそThank youです!
こんな浅~い人が、光GENJIを語っていいのだろうか。とも思いましたが、浅いなりにも思うことはあるので、続けます^ ^
私の周りの同世代は、私と同じく333は知らない人が多そうだけど、光GENJIという存在は当然のごとくみんな知っています。
30余年前の小学生が触れる音楽、芸能の世界はまだそれほどバリエーションがなく、みんなが同じ熱狂に巻き込まれやすかったのでしょう。程度の差はあれ、多くが光GENJIという超新星に魅了されました。そしてそのまま星の軌道に乗って応援し続けた人もいれば、逸れて離れていった人もいた。自身も含めて、私の周りには後者が多かったけど、どれだけ距離が離れ時が経っても、一度でも浴びた強烈な光は心のどこかに残っていて、輝き続けているのでないかと思うことがあります。
身近な同世代たち、今はもう各々別のエンタメが好きであろうに、時々唐突に光GENJIを思い出しては話題にすることがあるのです。なぜだか最近、そういう機会が頻繁してまして、なに?もしや、私の心の声はダダ漏れなのかい?(笑)いや、今が「そういう時代」なのかもしれない。
え?だって好きだったでしょ?という前提/暗黙の了解から話は始まります。
ある人は
「なせが光GENJIの曲が頭から離れないんだ」と口ずさみ出す。
なんなんだ急に。
しかもそこ1人じゃ歌いにくいパート!一緒に歌えっての?なんで私が歌えると思うの?もちろん歌えるけど!
…ちょっと楽しかったので心置きなくカラオケに行ける時代がきたら、フルで一緒に歌ってもらおうかなと思いました^^
またある人は
「光GENJIのローラースケート持ってた?自分は持ってたよ!」
と言う。
全くなんなんだ急に。これまで一度も光GENJIの話をしたことがない間柄なのに、「昔、好きだった?」ではない。そんな質問は野暮とばかりにすっ飛ばして「ローラー、持ってた?」
私の答えは
「光GENJI好きだけど、ローラースケートは持ってなかった。好きだけど」
その場にいた誰もつっこまず話は流れていったのですが、私は自分のとっさの返しを反芻してひとり密かに驚いていました。
「好きだったけど」
じゃない。
「好きだけど」と言ってた。
2回言ってたな。
現在進行形で。