こんばんは、えみです

 

前回はロシア人のおばちゃんと仕事中に無駄話することで、会話力がアップしたというお話でした

 

前回の話はこちら

 

 

 

TOIEC受験をするも、学校へ行くには数百点足りず。。。

 

とどまって頑張るのを辞め、オーストラリア中を旅することにしたのでした

 

ケアンズまでは近くの免税店で働いていた3人組の日本人ワーホリの友達の車に乗せてもらって移動

 

そこからスキューバダイビングのライセンスを憧れだったグレートバリアリーフで取得

 

ひとりでバスに乗って延々とゆられながらエアーズロックのあるアリススプリングスへ

 

そこからまた延々とバスに乗って今度はアデレードに下り、カンガルーアイランドでクリスマス(ドイツから旅行に来た団体さんと一緒にお祝い)

 

メルボルンを経てキャンベラ、そしてまたシドニーへ戻ってきました

 

カンガルーアイランドで出会ったイギリス人とドイツ人のカップルだけからはシドニーの連絡先をもらい、現地で会おう!ということに

 

あんな私の英語でも友達になってくれたネイティブの貴重な人おねがい

 

不思議なものでその時のことを思い出すだけで、

 

その行き先で見た風景や感じたこと、空気のにおい、考えていたことまではっきりと思い出します

 

ひとりで旅していたので?自分ってなんて孤独なんだろう。。。みんな友達やカップルで来てるのにひとりで旅行なんてけっこう寂しいな。。。

 

とか、これからどうしようか、とかくよくよ考えてしまい、実はあんまり楽しい旅ではありませんでした(ひとり旅向いてない気がする)

 

だからシドニーの見覚えのある町並みの中へ帰ってきたときは、

 

なぜか故郷に帰ってきたような、ホッとした気持ちだったのを覚えています

 

と同時に最初にシドニーに降り立ったときとは全然違う自分を感じていて、

 

成長したなあ〜と思うとともに、

 

また働いてみたい!

 

この町で住んでみたい!

 

と思ったんですね

 

成長した自分で生活してみたいと

 

たとえあと数カ月しかないとしても、もう一度この町で生活したいと思った

 

サーファーズパラダイスで働いていた時のお店がシドニーにも何軒かある、と聞いていたので、

 

さっそく出かけて行って、サーファーズパラダイス店で働いていた、シドニー店でも雇ってほしい、

 

と言うと、あっさり仕事をくれました

 

ずかずかお店の一つにいきなり入って行って聞いたら本店へ行けと言われ、そこのロシア人マネージャーらしきに聞いたらあっさり明日から来て、みたいな笑い泣き

 

そういうことができるようになったほど、英語力がついたということなのでしょう

 

お店では相変わらずロシア人のおばちゃんとペアで店番、

 

たまにオージーの女の子や別の国から来たワーホリの子達と働くこともあって、

 

どこの国の人とも英語でコミュニケーションが取れる!と自信がついてきたこの頃でした

 

この会社がワーホリ期間がもうすぐ終わる、というと、

 

スポンサーになってあげるからビジネスビザを申請すれば?と勧めてくれたので

 

他のもう一人の男の子と一緒の時期に申請をすることに

 

ここではじめて、

 

でしょう

 

お店では相変わらずロシア人のおばちゃんとペアで店番、

 

たまにオージーの女の子や別の国から来たワーホリの子達と働くこともあって、

 

どこの国の人とも英語でコミュニケーションが取れる!と自信がついてきたこの頃でした

 

この会社がワーホリ期間がもうすぐ終わる、というと、

 

スポンサーになってあげるからビジネスビザを申請すれば?と勧めてくれたので

 

他のもう一人の男の子と一緒の時期に申請をすることに

 

ここではじめて、

 

ビザの申請書を自分で記入する、という初の事態となったのですが、

 

芸能人の結婚、離婚、整形、ダイエット失敗談などのゴシップにはやたら詳しかったものの、

 

今まで文章を書く練習を全くしてこなかったがために、

 

あなたはビザを取得するにあたってどういう特別な技能を持っていますか?

 

の最初の質問を前に、

 

何と書けば全くわからないガーンゲローガーンゲローあせるあせるあせる

 

と、途方に暮れました(おせーよ笑い泣き笑い泣き笑い泣き)

 

あああなんでゴシップ記事読むヒマがあったらちょっとでも英語を書く勉強を一回でもしなかっ

たんだろう。。。

 

と思っても後の祭り

 

髪の毛をかきむしる思いで書き込んだ申請書に書いた文、

 

審査する人に読めたももだったのかどうか未だにわかりません

 

ひどい内容だったと思います

 

こんな英語書けない人間に誰がビザをくれるというのでしょう?

 

会社は一枚推薦書を書いてくれただけ

 

自分で移民局へ行って自分でお金を払って申請しました

 

スポンサーって会社の名前貸してくれるだけで、お金は自腹!

 

日本語が話せる店員というのが本当にビジネスビザが取れるスキルかどうかは差し置いて、

 

とりあえず、ブリッジングビザ、というビザを申請している途中の人が同じ条件でビザの審査を待っている間滞在できる、というビザがしばらくして降りたので、

 

とりあえずワーホリ1年ビザが終わってもまだ滞在できる!

 

というのが嬉しく、毎日それだけで楽しく過ごしていました

 

それから2,3ヶ月が経過した頃かな?

 

1年経ってから何か月か後だからたしか5月ごろだったと思います

 

一緒の時期に申請した日本人の男の子が、ビザ降りなかったから帰国することになった、というニュースが耳に入ってきました

 

全く同じ条件で申請したのだから私のももうすぐ却下される!

 

と戦慄!

 

そして、当然のことながら私のもとへと同じ結果が!

 

手紙には、日本語が話せる販売員はビザを受給するのに値するスキルではない、ということ、

 

この手紙の日付から28日以内にビザが失効するので帰国する、

 

か、

 

リビューを申請する、

 

と、ありました。やっぱりショックだったしオーストラリアから拒絶された気がして悲しかったなあ〜ショボーン

 

残念ながらもう一人の男の子はさっさと帰ってしまったので話も聞けなかったのですが、

 

リビューって何?

 

というのを調べてみたところ、移民局の判断に不服の場合は、また新たな情報を加えたりして再申請できるらしい!ということが判明!

 

これだ〜!これしかない!!!メラメラメラメラメラメラ

 

すんなり諦めてたまるかい!!!プンプンメラメラメラメラメラメラ

 

と、異常なほどの闘志を燃やしたものの、

 

移民局の人が、なるほどそうか!こんな素晴らしい人にビザをあげなかった自分が間違っていた、ビザをあげましょう!!!

 

と唸るほど説得力のある再申請嘆願書を、

 

書けるわけあるかーいガーンガーンガーン

 

自分の英文力のなさにほとほと呆れつつも、

 

インターネットや携帯もそんな普及していなかった時代

 

とにかくどうすればいいのか情報がなくて困りました

 

仕方なく当時そこそこの値段した、英文リファレンス辞書を買い、

 

そこに書いてある文章を参考に、

 

自分がどれだけ素晴らしい人間であるかを書き綴って(いったいどんな文章だったんだろう?笑い泣き)

 

再提出したのでした

 

自分でもこれが時間稼ぎでないことは分かっていましたが、

 

そこまでしてまでも、どうしてもオーストラリアにいたかったんです

 

そんな矢先、

 

お店で働いていた時に声をかけてきたオージーのおじさんがいました

 

彼はブライアンという名前で元アナウンサー、シドニーで日本語ラジオ局の開設を検討しており、働いてくれる人を探している、と

 

このおじさんがトンデモなセクハラおやじで、この後相談しに行ったビザのスペシャリストにもセクハラされながら、

 

前の旦那となった人に出会うまでの嵐のような3ヶ月ほどの話は次回に書きます

 

 

この時点での英語力

 

会話力(話す、聞く能力)

再びロシア人の同僚のおばちゃん達と会話する毎日だったが、同僚にオージーやイタリア人も加わり、ビザ申請にあたってネイティブの人とも会話するようになった

 

文章力(書く能力)

ビザを申請する段階になって自分の文章作成能力のなさに愕然とし、慌てて英文リファレンス辞書を購入。基本丸写しで単語だけ変えるスタイルではじめて英文を書きはじめた(笑)

 

読解力(読んで理解する能力)

わからないなりに移民局からもらったいろんなビザの資料に目を通し、本気で理解しようとして図書館や本屋でビザについて調べはじめたので、週刊誌以外の文を読む力が養われた