いつもブログを読んでくださり、

ありがとございますキラキラ

シドニー在住20年以上、

現地企業でフルタイム勤務のかたわらエコプリントと草木染で起業して、一緒に地球と動物に優しい生活をしましょう✨と推奨しているマイユーカのえみです

 

 

シドニーからこんにちは~✨

 

前回は100歳で亡くなった祖母のお葬式に田舎へ急に帰った母の留守の間、

 

オーストラリアから急遽帰国して父とお留守番1週間、その後帰ってきた母と1週間を過ごした話を書きました。

 

母と過ごした時間の話はこちら

 

5月中旬に急遽2週間帰ってくることができて、1週間ずつですが両親ととても濃密な時間を過ごすことができました。

 

50代半ばにもなって、それまで毎回帰国するたびに、当然にように両親におもてなしを受けていた私が、

 

80歳をすぎた両親の弱弱しい姿を見て、はじめてこれから私が介護しないといけない!と身に染みてわかった機会でもありました。

 

前回オーストラリアへ帰る直前に、田舎でひとりぼっちになった母の妹が、

 

”一緒にこの家で住もうと言っている”と言い出して、

 

あっさりと香川県に帰ることを決意した両親。

 

神戸の実家は、つぶして駐車場にするぐらいしかない、と思っていたらしいところ、

 

私がエアビーにすればいいじゃないと提案したのを聞いて、じゃあそうしましょう、

 

次に10月に私が帰国するときに、引っ越しするからよろしくね、まで話がすすみ、

 

それから家の片付けや何を持って行って何を置いていく、などと毎日メッセージしてくる母とやり取りしながら、

 

私は実家の近くでエアビーをしている人に連絡を取って管理の代理人になってくれないかと打診しながら、

 

家のリフォームが必要なところ、リフォームの金額などを調べつつ、民泊の契約の仕方、必要な書類、などを調べて申請したり、業者さんとやりとりをしていました。


実家を貸すことで家賃が少しでも両親の生活の足しになればと思ってのことです。

 

祖母の49日が7月の3日だったので、母がまた香川県の田舎へ帰る際に、

 

一緒に住もうと言っていた母の妹と、近くに住んでいる弟と会うので、具体的に話をすすめるときいていたのですが、

 

6月末になって母からいきなり、

 

”今日は妹に泣きつかれた”とメッセージがあり、

 

え?何が?と混乱して、何を泣きつかれたのか聞くと、

 

”やっぱり人と一緒に住むのは無理、母だけならまだしも、父と住むのは絶対に無理と言っている”とのこと。

 

え、え、え?一緒に住もうって言いだしたのは叔母よね?なんでそうなったの??

 

と大混乱。

 

よくよく聞いてみると、叔母はかなり精神の浮き沈みが激しい人らしく、

 

自分が寂しくて落ち込んでいるときは、もう今すぐ引っ越してきてくれ!とすがるように頼んできていたのに、

 

次は手の平を返したように、やっぱり人を住むのは無理だと泣き言をいうようになったらしく、

 

とうとう叔母が母の弟に相談したところ、弟は、

 

母はともかく、夫である私の父までも一緒に住むのはおかしい、と言ったらしくて、

 

叔母はそら見ろ、弟だって反対している、頼むから引っ越してこないでくれ、と泣きついてきたというのです。

 

私のこの怒り、誰にも想像できないでしょう。

 

いきなり神戸の実家をエアビーにするかもしれないという立場になって、

 

エアビーについて調べまくり、リフォームの手配もし、管理人にも部屋の間取り作成して写真もすべて共有してお願いをしており、

 

両親宅の和式のトイレはもうリノベーションする業者も呼んで見積もりをしてもらっていました。

 

リフォームのお金も全額出そうと貯金もくずす覚悟でいたし、必要書類も取り寄せ手配済み、


休みの申請許可も降りて、往復チケットも買ったし、


もう友達や同僚にも実家エアビーになるから泊まりにきてね🎵って言いふらしたぜ

 

それが、え?引っ越さない?

 

え、引っ越してくるな?

 

ふざけんな!!!ムキームキームキー

 

今までさんざん調べて手配した私の時間を返せ!と

 

日本にいたら電話して怒鳴りつけてやりたい、いや殴ってやりたい気分でしたが、

 

しょんぼり落ち込んでいる母がかわいそうな上に、

 

母がさんざん田舎で骨をうずめようね、大好きな庭仕事もまたできるよ、田舎でこうしようああしよう、と喜ばせていた父がこの事実を知ったら。。。!


どんなに落ち込むだろう、と私まで気分がどん底に

 

でも引っ越しは受け入れてくれる家があってのことだし、

 

母の兄弟間で決めることに私が口をはさむのはよくないと思い我慢。

 

とりあえず、膝を合わせてちゃんと妹と弟と話をしてきてね、

 

せっかく49日、おばあちゃんのために兄弟3人が集まるのだから仲良くいい時間を過ごしてね、と言って送り出すしかありませんでした。

 

49日を終えた母が3日間の滞在を終えて帰ってきた日は父のデイサービスの日だったので、

 

父のいないところでたくさん話をしたいと思い、母に電話をしました。

 

結果からいうと、一緒には住めない、ということになったらしく、

 

叔母は78歳だけど今まで人と住んだことがないし、一緒に住みたい理由が自分が倒れたとき誰もいないと不安だから、で、

 

その助けを80歳と85歳のうちの両親はできないし、

 

姉妹でもしょっちゅう喧嘩ばかりしているのに、父が一緒に住むことでいろいろと軋轢があれば、そのストレスが全部母に降りかかってくるだろうということ、

 

いちばんの理由は父が母の家の人間ではないのに、母系の家に入って住むのは田舎の常識では許されないことだ、

 

というのが叔父の言った第一の理由でした。

 

まあ、神戸で生まれ育ってオーストラリアで20年以上も住んでる私が、

 

両親の香川県の田舎の習わしや常識が理解できてたわけもなく、

 

”そうなら最初から一緒に住むのなんて無理って分かってたんじゃないんか?”

 

”じゃあ最初からそう言っておいてくれよ!”


と膝から崩れ落ちるほど落ち込みました。

 

でもそんなこと、両親には言えません。

 

ただでさえ落ち込んでいる母をどうなぐさめてあげればいいのか自分も落ち込んでいるのでわからず。

 

こういう時、遠隔とはいえ母がアイパッドミニを使ってメッセージをやりとりできるようになってくれていたおかげで、

 

毎日毎日時間があればメッセージのやり取りをして励ましたり様子をうかがったり、

 

お互いの様子を探りながら、温かい言葉をかけあうことができました。

 

海外に住んでいるから実際に会って何かしてあげたり、時間を過ごすことはできないし、

 

そのことを海外に住んでいると申し訳なく思うこともしょっちゅうだけど、

 

少なくとも、これだけ連絡を密に取り合って、毎日お互いの様子を写真やメッセージで把握できてるって、

 

立派な遠隔介護ではないかと思う私。

 

ひとりよがりかもですが、少しでも両親が心細い想いをしないよう、毎日言葉を交わしあえるって、すごく幸せなことだな、と。


まあ引っ越しの話は振り出しに戻ってしまったわけですが、


10月に行くことはもう決まったので、


だったら親孝行しましょう、と


いつも家で留守番ばかりだった父を私がレンタカーや車椅子を使って旅行につれていってあげようと決めました。


うちの両親は実は家が隣同士という2人


亡くなった祖母があの2人を結婚させようと働きかけて一緒になった夫婦


だから母の故郷は父の故郷でもあるのです。


歩けていた頃は必ず一緒に帰ってそれぞれの実家へ挨拶にいって過ごしてきた2人


もう何年も故郷へ帰れていない父を連れていってあげたくなったんです。


やっぱりずっと神戸で2人で生きていく、とまた決意した両親ではありますが、


私は本当は残された兄弟と近いところで、故郷ですごしたいのではないかと感じるからです。


もともと仲良くない兄弟ならそんなこと考えませんが、


母の妹と弟は、早くに父親を亡くして苦労しながら生き抜いてきた同士であり、


集まる度に和気あいあいの仲のいい兄弟


まだ田舎で住む可能性もあると思っています。


連れていってみて、父の親戚や思い出の場所、幼馴染みの家へ連れていってあげてみて、


やっぱり田舎がいいなあ、どうにかして住みたいなあと思うようなら、


賃貸のマンションを探して家具を全部そろえてでも助けてあげたいと思っています。


今のところ私の帰るのを楽しみに待ってくれている両親に、


今度こそ親孝行ができるよう、頑張ってみようと思っています。


海外でリモート介護をしている他の人たちってどうしてるのかなあ?


また近況アップデートしますね🎵

 

ではまた!