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今日のSANKEI EXの一面は、天皇、皇后両陛下が東京武道館に避難している被災者をお見舞いに訪問された記事だった。その見出しは
両陛下ひざまずき「お大事に」
表紙に大きく掲載されている写真には、両陛下が被災者に膝を折って声をお掛けになる姿が写っている。
「国民と困難を分かち合いたい」と、これまで皇居・御所で自主停電を実行されたり、那須御用邸のお風呂を開放されたりといったニュースは耳にしていたが、実際に避難所を訪問し、膝をおって国民と同じ目線でお話されている様子を見ると、心から心配をなさっている両陛下の気持ちが伝わってくる。
以前、障害者スポーツ大会の会場に両陛下がお見えになったときのことを思い出した。僕はそのときボランティアで競技審判をしていたのだが、両陛下が僕の真後ろで立ち止まって競技をご覧になっていた時間は何ともいえない空気に包まれた。いわゆる“オーラ”を感じた。普段は自分のペースでいろんな声や音を発している知的障害者の選手たちが穏やかにプレーをしていたのも印象に残っている。
日本の象徴とされる天皇陛下がひざまずきながらお見舞いをされる姿を見て感じたことは、こんなときでもまとまらない議論を繰り返している国会議員たちが同じ事をできるのかという疑問だった。今回のお見舞いの案内は石原都知事だったようだが、両陛下と同じように膝を折って国民と同じ目線になったのだろうか。
障害者スポーツ大会のボランティアをするときに心がけることは目線を合わせコミュニケーションをとることだ。そうすることで初めて相互に気持ちが伝わる。小さなこどもやご老人とコミュニケーションをとるときも同様だ。
人は地位や権力を手にするとどうしても目線が上からになることが多い。もちろん戦略上、立場上、そうすることも必要なときはあるが、今この状況では同じ目線に合わせることが大切だと強く感じた。

両陛下ひざまずき「お大事に」
表紙に大きく掲載されている写真には、両陛下が被災者に膝を折って声をお掛けになる姿が写っている。
「国民と困難を分かち合いたい」と、これまで皇居・御所で自主停電を実行されたり、那須御用邸のお風呂を開放されたりといったニュースは耳にしていたが、実際に避難所を訪問し、膝をおって国民と同じ目線でお話されている様子を見ると、心から心配をなさっている両陛下の気持ちが伝わってくる。
以前、障害者スポーツ大会の会場に両陛下がお見えになったときのことを思い出した。僕はそのときボランティアで競技審判をしていたのだが、両陛下が僕の真後ろで立ち止まって競技をご覧になっていた時間は何ともいえない空気に包まれた。いわゆる“オーラ”を感じた。普段は自分のペースでいろんな声や音を発している知的障害者の選手たちが穏やかにプレーをしていたのも印象に残っている。
日本の象徴とされる天皇陛下がひざまずきながらお見舞いをされる姿を見て感じたことは、こんなときでもまとまらない議論を繰り返している国会議員たちが同じ事をできるのかという疑問だった。今回のお見舞いの案内は石原都知事だったようだが、両陛下と同じように膝を折って国民と同じ目線になったのだろうか。
障害者スポーツ大会のボランティアをするときに心がけることは目線を合わせコミュニケーションをとることだ。そうすることで初めて相互に気持ちが伝わる。小さなこどもやご老人とコミュニケーションをとるときも同様だ。
人は地位や権力を手にするとどうしても目線が上からになることが多い。もちろん戦略上、立場上、そうすることも必要なときはあるが、今この状況では同じ目線に合わせることが大切だと強く感じた。
