ツイッターあたりでは、某女性保護団体(?なの?)が怪しい会計が発端であれやこれや燃えておりますが。
活動の実態や意義、あるいは成果が「ちょっとだけはある」ようでなかなかめんどくさそうだな、なんて思ってみたり。
そして思う。
例えば、誰かに「ばーかばーか」って言われたとして、それを「立ち直れないほどの心的ストレスとなる暴言を受けた」とだいぶ話を盛って被害を訴えた場合。
とりあえず「ばーかばーか」の部分は実在するだけに、「一方的な嘘」という追及はしにくくなる、いや、もうできなくなるよね。と思い至った次第。
すごく小さなことを、大げさに、話を盛って、被害をアピールする、みたいなことをやるの、無いことから嘘をつくのよりよほど厄介なんじゃないかしら。
ほんのちょっとでも相手側に思い当たる節(些細なことでも、何かしらやらかした事実)があれば、あー、その件についてはなんかスミマセン、って思うでしょう?
そういうところにつけこむというか、ね。
嫌な世の中だよ。と思いました。
あ、某女性保護団体の話は、詳細を全く存じ上げませんで、上記の「大げさにアピールする」のはまた別の人の話です。
(いたんですよ、ちょっと遠いところにですけど、そういう針小棒大な感覚で被害を訴える人。もはや何がしたいのか分からないな、と思って遠巻きに見ていただけですが。)
清廉潔白な人はいないよね。
それだけに、悪意をもって「被害を訴えられる」と辛いものがあるよね。
お天道様は見ているぞ、の感覚がここ最近はもう通用しないのかな、と寂しく思います。