最近、叱っても子どもは伸びないみたいな風潮ですね。

 

実際それはかなり当たっていると思います。

だって、いわゆる「叱る」の内容を見ていると、だいたいの「叱る」が「文句を言う」とか「怒る」だけで、改善・解決につながる助言になっていないことが多いから。

 

いまだに教育現場でさえ見かけるんです。

「やる気がないならやめろ!」とか「こんなことならやっても意味がない!」とか、そういう、自称では「叱って」いる人。

 

それは、叱ってるわけではなくて、文句よね。

見ててもう苦笑い。

(隙あらば、間に入って止めるんだけど、そういう人は自分が「相手のためを思って、言って"あげてる"」の考え方なので、だいたい自分の言動がいかに無駄かわかってくれない)

 

例えば。

現状、こういう感じだけど、このままいくと、失敗するわけで、そのためにはどうしたら良いだろね、という道筋で「話をする」とか「助言をする」とか。

さらには、前回はここができてなかったね、でも今回はこの点についてはクリアしてる、だから次回はこうしよう、という「確認」とか「現状把握」。

 

今の時代はそういうのが求められてますよね。

 

叱られる側が、昔と違うから。

ことばの受け方に、圧倒的な違いがあるから。

 

いやならやめろ!スミマセンでした!の時代は結構前に終わっていて。

 

今の人たち、いやならやめろ! ・・・・(無言で帰宅)っていう反応が普通ですから。

だって、やめろって言いましたよね?って。まあ、全然まちがってないですよね。

叱る側がヒステリックに何かを見失ってるだけですからね。

 

さて。今日は、そのヒステリックな人に、上記の話をうまくできるかどうか、という日です。

伝わらないだろうな。

 

いってきます。