どうすることも出来ない情念は、わたしを袋小路に追い詰めて身動きを封じてしまう。どこにも行けない、いや、行きたくもないのかもしれない。わたしは安心している。ここにいれば大丈夫、ここにいれば傷付かない。これ以上、泣かなくて済む。それが間違っているとは思わない。迷い込んだ迷路に居場所を見付けてそこに住み付いただけのこと。迷路が迷路だということを頭の隅に追いやって、ここを何とか抜け出さなければという気持ちを忘れてしまった。そこに順応し馴染んで、わたしの居場所を作ったのだ。間違っているとは思わない、けれど、間違っていないとも言えない。

もう何処にも行けない。

そんなはずは無いと、まだ若いんだからと周りは言うのだ。わたしは昔から周りの歳上の方々に言われ続ける【まだ若いんだから】という言葉が大嫌いだ。【まだ若い】から何だと言うのだろうか。これから年を取ればもっと色んなことがある。楽しいことも嬉しいことも、今よりもっと苦しいことだってたくさんある。みんなこぞってそう言うけれど、そんなのわたしは知っている。解って生きている。まず論点が大きくズレていることに、周りの【自称大人】は気が付いていない。ほとんど全員だ。馬鹿なのかな、と本気で考えた。

今より未来がどうだとか、そんな話しはしていない。だから言ってやったのだ【じゃあ歳をとればそれだけで、わたしの【今】の悩みは解決すると言うことですか?何もせずに?ただ歳をとるだけで?】それは解決ではなく、ただ【忘れる】だけなんじゃないのか。わたしは何も【忘れる】ことを望んでそんなことを話したんじゃない。【解決】の糸口を探して相談しただけだ。別に解決してくれとも言っていないし、忘れたいなら相談なんて端っからしない。

大人って馬鹿なのかしら。と本気で思った。わたし(と似たような年齢の誰か)の【今】の悩み苦しみ悲しみ、それを【忘れる】というネガティブな(ある意味ではポジティブと言えるが)発想でしか考えられないのだろうか。ただの愚痴ならそれでも良いだろうが、わたしは愚痴ったのではなくて望みを叶えたかったのだ。だからどうすれば良いと思うか、参考までに聞きたかっただけで。本気で考えて自分なりの答えをくれたのは、ほんの数人、片手で余る人だけ。【ああ、大人というのはこんなにいい加減なんだな】と思った出来事だった。

何でも自分で解決しろってことだ。




 



わたしは善い人間ではない。
別に優しくもない。
優しいって何だろう。
よくわからない。

考えすぎなんだろうけど、優しくしたいならすればいいと思うんだけど、人を信じることは優しさとは違うんじゃないかな。昨日の話。彼は優しすぎるから人に騙され易いのだと言う。優しいから人を信じる、というのは何だか矛盾していないか。【その人は信じるに値しない人間だったけど、彼は優しいからその人を信じてあげたのに結局裏切られた】というふうにわたしには聞こえた。ひねくれている。わかっている。でもそう聞こえた。結局信じていないし、もし信じるに値しない人間だとわかっていて【優しさ】で信じた振りをして結果損をしたのだとすれば、優しい人というのはただの馬鹿だということになる。
優しいとか優しくないとかそういう概念を持ってくるからおかしいのだ。信じたいから信じた、結果それは間違っていた。それで良いんじゃないか。そこに【優しい】とかそうでないとかは関係ないような気がする。
それともやっぱりそれは【優しさ】なのだろうか。わたしはひねくれ者だし、こんなわけの解らないことを人に話したりはしないから【一般的】な考えが何か知らないし、これから知ることもないだろうけれど。
別に【一般的】と言われる物事に対する見方や捉え方、考え方や感じ方をわたしがしなければならないとは限らないし、それが何か、正解がどれかなんて知っている人もいないだろう。そんなものは他人と多少ズレていようが問題ない。話す必要もないし、誰かに聞く必要もない。いちいち何だかんだ言わなければ不正解だって構わない。
他人は他人、自分は自分。
だからわたしが【優しさ】について考えすぎていたとしても、それは他人にとってはどうでもいいことだ。



 



おなかすいた。
でも買いに行くの面倒臭い。
わたしは怠慢な人間だ。

さて、人間とは強欲な生き物だ。でも、わたしは根本的に人間が好きなんだと思う。人はひとりでは生きられない、と言うがそれはきっと本当だ。もし、こんな例え話にあまり意味はないが、もし、この世界にわたしひとりしか人間がいなくなったら、それは誰も居なくなったのと同じだろう。もし、初めから(わたしが生まれた時から)わたしがひとりぼっちなら、そして物心がつくまで運良く生きていられたとしたら、それはそれでそこから生きていこうとするだろう。生物の本能だ。でも、今の状態(周りに人が居る環境で24年生きた状態)から、急にひとりぼっちになれば、それはもう、気が狂うかもしれない。まぁでもそんなことはあり得ない。
世界の全ての人間が死滅するような天変地異やパンデミックなんかが起こったとして、まずわたしが生き残る可能性なんてゼロだ。わたしは映画やアニメのような世界規模で選ばれる主人公の器ではない。差し詰めその恐怖を煽るための予兆で死ぬエキストラの一部だろう。それでいい。

この間そんな話をしていた人が言っていた。10人に1人しか助からない何かが地球上で起こったとする。その10人に1人になりたいとは思わないが、もし、10人に9人助かるのだとすれば、その9人にはなりたい。つまり1人の犠牲者にはなりたくないと。要するに、人がいなければ低い確率に勝っても意味が無いと彼は言ったのだろう。
わたしはどちらにしろ流れに身を任せると答えたのだが。もし10人に1人の内に運良く入ったのなら拒絶はしない。10人の内の犠牲者になってもまた、拒絶しない。そういう運命(この言葉はあんまり好きじゃないが)だったのだと受け入れる(ことができるかどうかは頭の中では判断出来ないが、そこまで言うとまた話がややこしくなるだろうから言わなかった)。

人間とは強欲な生き物だ。
けれど理性も同時に持っている。人殺しなんて通り物のようなものだと京極堂は言ったが、強欲も度が過ぎれば犯罪になり兼ねない。それを理性でどうにか抑えて生きている。きっとわたしも。どちらが切っ掛けかなんてわからないけれど、そのタガが外れた時、その瞬間(世界の終わり、ノアの方舟的な)が来た時、理性や常識、社会的見目がなくなった時、それが偶々重なった時にわたしだってどうなるかわからないな、と思うのです。

こわいこわい。

おなかすいた。