また三日坊主だわ。
まいにち書こうと思ったんだけどなー、酔っぱらうと思考回路が物凄く深いところまで潜っちゃって、あれ、私こんなこと考えてたんだ、怖い、ってなっちゃうから嫌なんですよねー。

意外とさ、自分自身まいにち毎日おんなじような生活サイクルで似たような人と似たような会話してるとさ、自分がマトモであるような錯覚を起こすんだと思うんですよ。
マトモっていうのにも定義はない(もしくは人それぞれ)んだろうけど。
でも実際、自分の意識の外(意識はあるけどあまり深く考えてないところ)で思わぬ自分に遭遇することもあるじゃない?
私はそれが怖いんですよね。
私の知ってる私じゃないと安心できないし、私の知らない私は私じゃないから怖いんです。
そもそも安心というのは何だか嘘くさいけれども、安心なんてあるのか、常に不安だと死んじゃいそうだけど。

むかし小学生の時、道徳の時間に「部落差別はいけないことです」という先生に対して、「そうやって部落差別はいけないと言うことが既に差別で、教えられなきゃ部落なんて知らないんだからしようがないのに、こんな授業は変だ」と言った私は明らかにマトモな小学生ではなかったんじゃないだろうかと思う。
ひねくれて突っ張っていた。
今考えれば、意味のない反抗だし、私がどうのこうの言ったって学校の教育体制が変わるわけでもないんだから(てゆーか変えたって私には何の関係も得も意味もない)、黙ってふんふん聞いたふりしてりゃよかったのに。
妙に目立つこと言うから変な人権団体(真面目に活動に取り組んでいる真剣な人には誠に申し訳ないけれども)に所属しているらしい革命家気取りの自己陶酔気味な女教師に気に入られ(私は彼女が大嫌いだった)、彼女の意見や方針?わからんけどいろんなものを押し付けられて吐きそうだった。
そんなこともあって私は余計にひねくれたんではないだろうか。

小学生の時のクラスメイトに変わった奴がいて、「第三次世界大戦を起こすにはどうすればいいか」とか「雷を電気エネルギーに変えることができればノーベル賞が取れる」とか常に六法全書やら広辞苑やらを広げているような気持ち悪い奴だった。
私は彼と仲が良かったし結構好きだった(恋愛感情でなく)のでよく遊んでいたが、彼はどう考えても変な奴だったなと思う。
今はどうしているだろう。

周りから見るとオカシイことも、自分にとって日常ならマトモなのだ。
自分のマトモを他人に押し付けてお前はオカシイと言うやつは頭がオカシイと思う私もやっぱりマトモじゃないんだろう。
うん、不思議。