父親の思いで | 新 三毛猫と俺

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ニャンコと俺の20年の思い出と、我が家の新しい家族、三毛猫ミミとの日々の出来事を徒然に書いて行きます。
長い間放置していたアメブロ、再始動します。

また、よろしくお願いします。

もう十年ぐらい前に六十三歳ぐらいで死んだ。
もとから糖尿病だったので、血圧が高かったクセに強がって薬を飲まない。
エエカッコしいで、ちょっと幼稚なオッサンだった。(そこは俺が引き継いでるかも知れない)
子供の頃マジンガーZをいっしょに見てたら、マジンガーZがやられているシーンで涙を流すような優しい部分も持っていたが、仕事が自分の思い通りにならないせいか、家庭を自分の思い通りにして、家族を服従させるという事に異常なまでの執着を持っていた。
若い頃からエエカッコしいが災いして、飲酒運転の事故をおこし免許取り消し+借金
自分達だけで生活が出来なく成り親元に帰って俺たち子供を育てる。
といっても借家の時代劇に出てきそうな古い長家ww
そこには、親父の父親と親父の兄弟三男
そのうちに三男結婚し出て行く(今は自分で会社を経営されておられるようだ。付き合いないんで詳細不明、小さい頃はお世話になった)
親父の父(俺の爺さん)は親父を嫌って出て行く。小さい頃は、風呂上がりに寿司を食わせてもらったりした。
この年齢で大卒たしか関大とか親父が言ってた気がする。
爺さんはエエ氏の子供やったらしい。第二次世界大戦ちゅうも兵役免除で赤紙書いて招集する側だったらしいが、婆さんと結婚して家を勘当されたらしい。理由は知らん婆ちゃんは親父が十歳ぐらいで死んだらしいんで。
爺ちゃんはお洒落で物静かな人だった。(でも酒飲みで、頭の血管切れて倒れて死んだ)
親父には、もう一人兄弟がいた。その人も爺さんの血統を色濃く次いだのか頭が良かったらしいが、俺が知ってるその人は精神病院に入れられて、色鉛筆でお金を描いたり、兄の事をお父さんと呼ぶキチガイで、三十年間精神病院暮らしで病院で病死したという事だけだ。

俺の弟も子供の頃から精神的に弱かった。いま四十五歳で精神的に働けないと障害者年金をもらって生きている。将来俺の経済状態が良ければ助けるつもりだが、悪い場合は見殺しにすると決めている。

親父は家に帰ると馬鹿な王様のように振舞っていた。
親父の言う事は絶対であり、口答えは一切許されない。
親父隠して母が玩具をよく買ってくれた。(母がパートした金だと思う)
そう言うものを見つけ出して俺に捨てに行くように強制する。
「僕はこんな玩具いりません」と言わされて自分の手でゴミ捨て場に捨てに行かせて、それを見て誇らしげに笑っていた親父のあの顔は、歪んだ人間はああなるのだと反面教師として俺の心に刻み込まれた。
自分の子供が悲しんでる何が楽しいんだろうと未だにわからない。
クリスマスだって母が買ってくれた。小さなクリスマスツリーとクリスマスのレコードを蹴り倒された。
自分の許可なくクリスマスを祝った事に対する制裁措置のようだ。
きっと会社でみんなに馬鹿にされてたんだろうな。
俺も中学になれば物事がわかり始めて来たので、それからは親父を馬鹿にする事はあっても尊敬する事はなかった。
小さな頃はヒーローだと思っていた父親が、カスに見えた時の怒りは大きかった。
俺は十九歳になって独りで暮らしはじめた。
そのころから俺の弟も精神的に病みはじめた。俺はよく「お前山に埋めるぞ!」とかいって弟を殴ったりした。
親父は弟をかばい「今は止めたってくれ!こいつは弱いから」と言った。
俺なんか子供の頃ネギ残しただけで殴られたのに。ww
結局弟の尻は、ふかんまま死にやがった。ww

俺に子供が産まれてすぐとか、新婚の頃は、女房が俺の両親に挨拶しなきゃと、よくボロ家に行った。
親父と顔あわせたら喧嘩になっていた。
なんどか殴り合いの喧嘩になって、女房も母も泣いてた。それでも怒りワ消えなかった。

俺に娘が産まれた。親父が一回も病院に来なかった。後からわかった事なんだが親父は脳の血管が切れて半身が動かなく成り、言語障害も伴っていた。
俺は「エエカッコばっかししとるから、そないなんねん!」と笑っていた。
ボロ家に行くと、小さくなった親父がいた。自業自得だとおもった。
俺の事が誰かわかっているのかも、俺にはわからなかった。
俺の幼い息子を親父は俺の名前で呼ぼうとしていた。
そのとしの正月、酒と仕事以外なんの趣味もない親父の寂しい正月だった。
「親父!そんな何の楽しみもなしで、生きててもしゃあないやろ?死んでもエエから、飲めや!」そう言って酒を飲ました。本当に嬉しそうな顔をしていた。親父に対する怒りは消えていた。
そんな弱くなった親父に文句を言っても仕方ないから、親父が子供の頃に教えてくれた事
「人に会ったら挨拶をしなさい。女や弱いもんに手だすな。」ぐらいやな他は、嘘ばっかしやww
その翌月の節分に親父は亡くなった。
それから数年間ときたま親父が遊びに来てるような気配が度々あった。

いまは生まれ変わって好き勝手してるかな?
ニャンコは親父が大好きやった。十年近く面倒を見てくれた親父が死んだ時も側に居てくれた。
思い込みの強い男で、池の鯉が毎朝自分によって来て涙を流すと言っていた。
それには、女房も笑いを堪えるのに困っていた。
水の中の鯉の涙が見える特殊能力を持っていたようだ。

親孝行したい時には親はなし って、あれ嘘やな!
俺親孝行したいなんか思た事もないww