夏目漱石の『三四郎』は青春小説なだけじゃないと思う。 恋愛ものって何というか恋が成就することが多いと思う。つまりハッピーエンドが多い。でも、『三四郎』はどうか。三四郎は結局失恋するのだからハッピーではないだろう。 では何で失恋したのだろう?それはおそらく三四郎の「主体性の欠如」だと思う。恋心を寄せた美禰子に対しても、友人の与次郎に対しても、三四郎自身が働きかけたシーンがほとんどない。 そして、その結果として失恋があるだけ。 だから『三四郎』は普通の青春小説ではないと僕は思う。もし普通の青春小説なら恋愛成就してめでたしめでたしで終わればいいのだ。 主体性の重要性、これを三四郎は僕に教えてくれた。それは恋愛の結果よりも大切なことだと僕は思う。