NHK2・26事件 ●「英霊の聲」で、三島は2・26事件の青年将校たちと、特攻で死んでいった若い兵士たちの霊を登場させ、「われらは裏切られた者たちの霊だ」とまず名乗らせる


彼らは誰に裏切られたのか

それは昭和天皇、その人にである


青年将校たちは、天皇の取り巻き=君側の奸を排除するため、自ら「義軍」と信じて決起したのに、天皇に「叛乱軍」とされ、暗黒裁判で死を余儀なくされた


特攻の兵士たちは、敗戦濃厚な国を「救済」するために「神風を起こさんとして、命を国に献げた」のに、「神風」は吹かなかった


●三島は、青年将校が決起した時と、特攻隊の死後に日本が敗戦を迎えた時の「ただ二度だけ」は、昭和天皇に神でいてほしかったのだ


しかし、天皇が「人間であらせられ」たために、一度目(2・26事件)は「軍の魂」を、二度目(敗戦)は「国の魂」を失わせた、と三島は激しく憤る


そして「われらの死の不滅は瀆(けが)された」とまで書くのである


その狂おしいまでの憤怒の情のなかから、絞り出た言葉こそ、「などてすめらぎは人間(ひと)となりたまいし」だったのである


「英霊の聲」は小説というより、昭和天皇に対する恨みつらみを、とうとうと書き綴った三島の独白のような作品といっていい


●三島が、これほどまでに昭和天皇を憎む心の底には、そのアンビバレンツな情として天皇に対する限りない憧れがあった


大演習で、天皇旗のひらめく下、白馬に跨った天皇は「われらがその人にために死すべき現人神」であり、三島はその姿を「神は小さく、美しく、清らかに光っていた」と描写するのだ


こうした思いは、まさに「恋」そのものである

事実、彼は「(天皇に)恋して、恋して、恋して、恋狂いに恋し奉ればいいのだ」と書いているのである

「恋」の成就、すなわち「死」を捧げれば、天皇は「御喜納」し、それを受け入れてくれる


三島には間違いなく天皇は、忠誠を捧げた「臣民」を裏切らない、という確信があったのだろう

だからこそ、天皇の「裏切り」に信じられぬ思いを抱いたのではないだろうか


●「二・二六事件と私」のなかに、「二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだ」という部分がある


20歳で迎えた敗戦の時もまた「神の死の恐ろしい残酷な実感」がしたとし、それは11歳の時感じた「偉大な神が死んだ」という直感と密接につながっているらしい、と述べている


これは「ただ二度だけ」昭和天皇に「神」であってほしかった時に「人間」であったことの、三島の失望と呼応している


昭和天皇は「神」の座を降りた、三島にはそのことが「裏切り」と映ったのだ


「恋狂いに恋し」た天皇の「裏切り」を自覚した三島は、「2・26」を題材にした一連の作品(「十日の菊」「英霊の聲」「憂国」=二・二六事件三部作)を書く


それらは、昭和天皇に対する作家・三島のペンによる「叛乱」だったのだ


※写真は「NHKアーカイブス」より引用

http://www.nhk.or.jp/archives/program/back030720.htm