英霊の聲 きょう2月26日は、昭和11年(1936年)に起きた2・26事件からちょうど70年にあたる


三島由紀夫の「2・26」に関する考えは「英霊の聲」(河出文庫)所収の「二・二六事件と私」に端的に示されている


当時、11歳だった三島は「その不如意な年齢によって、事件から完全に拒まれていた


彼は「悲劇の起こった邸の庭の、一匹の仔犬のように」「ただ遠い血と硝煙の匂いに、感じ易い鼻をぴくつかせていた」だけなのだ 


しかし、それゆえに事件を「この世ならぬものに想像させ」、青年将校らを「異常に美しく空想させたのかもしれない」と語る


●私は、ここで三島が事件を「宴会」、青年将校らを「悲劇の客人」となぞらえていることに注目する


彼は「2・26」に、「悲劇の客人」たちが参い集う「血と硝煙」の「宴会」を「壮麗」に空想していたのである


三島にとって「2・26」とは、「この世ならぬもの」であり、決してリアルな事件ではなかった


それは、彼の思い描く憧れの世界を「夢想」させる歴史の中の舞台装置だったのだ


●「2・26」に夢中になった三島にさらに拍車をかけたのは、決起した青年将校の一人・磯部浅一大尉の「行動記」に記された蹶起の瞬間の描写である


その時俄然、官邸内に数発の銃声をきく。いよいよ始まった。…勇躍する。歓喜する、感慨たとえにもなしだ。(同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない、とに角言うに言えぬ程面白い。一度やって見るといい、余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものだろう。)


三島はこれを読んで、おそらく血湧き肉躍ったに違いない


●「人生至上のもの」を「2・26」の青年将校の姿に見た三島は「憂国」という「一篇の至福の物語」を書く


三島はこの物語で「事件から疎外されることによって自刀の道を選ぶほかはなくなる青年将校の側から描いた」


「憂国」の武山中尉夫妻は、最後の夜の性的結合によって「至上の肉体的快楽」を、自刀によって「至上の肉体的苦痛」とを貪ったのである


「2・26」から「疎外」された武山中尉に自分の姿を重ねた三島は、フィクションの世界では飽き足らず、その人生最後に本当の自刀を演ずることになる