回転扉の三島由紀夫 「回想 回転扉の三島由紀夫」(文春新書)は、劇作家・演出家の堂本正樹三島由紀夫との尋常ならざる交流を書いたものである

ここで「尋常ならざる」というのは、あくまでも私の感覚からしてということであり、堂本や三島にすれば当たり前の感覚であったかもしれない


●彼らの最初の出会いは戦後日本に初めて現れた銀座のゲイバーだという
十代の「美少年」だった堂本は、当時、新進気鋭の作家・三島と歌舞伎や能の話をしたことから親しくなった


二人は、ホモ・セクシアルの店に行き、「兄弟の席」で腕を組み、テーブルの上に足を組んだ靴を乗せ「尊大で、野卑で男らしい姿」を仲間に見せつける

これが「兄弟ごっこ」であり、堂本は三島の八歳下の「弟」となって三島のことを「兄貴」と呼ぶようになる


しかし、相手は「有名人」
堂本は、三島のプライドを傷つけないよう、話におかしいところがあっても問い詰めないし、都合の悪いことは聞かない
そういう「世間智」があったからこそ、三島と永く付き合えたという


三島も三島で、堂本に冷たい仕打ちをしたなと思ったときは、「耳元で、『正樹がいると心強いよ』と囁く」
「憎たらしい活殺自在」と書く堂本


二人の「駆け引き」は、まるで安っぽい恋愛映画だが、天才・三島の意外な側面を伝えてくれる


●しかし、この本で何よりも驚いたのは、三島に早くから「切腹」へのマニアックな憧れがあったということだ

もともと切腹に「一種官能的な興味を抱いていた」という堂本に、三島のフィーリングがぴったり合ったのかも知れない


三島が模造刀を用意し、「兄弟の儀式」として「切腹ごっこ」を始めるのだ

堂本によれば、三島はまだボディビルを始めていなかったころというから昭和30年代前半だろうと思う
上半身裸になった三島は、真剣な表情で腹をもみ、長刀を逆手にし、左腹に突き立て、引きもまわす
「ごっこ」というより、切腹する武士になりきっていたに違いない


その後、堂本の演出で三島が主人公の映画「憂国」を作ろうということになり、大仕掛けの能舞台で、血しぶきがどくどくと飛び散り、腹から腸が飛び出してくるようなグロテスクな切腹を表現した
堂本は「三島さんは切腹シュミレーションをしているのではないか」と思ったという


●昭和45年11月25日、その日
堂本は「全く思いもかけなかった。とも云えるし、全く自然の成り行きだともおもえた」と記した


果たしてその死の瞬間に三島は何を思ったのだろう

憧れの「切腹」は甘美なものだったのだろうか


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三島由紀夫との赤裸々な同性愛を描いたという「三島由紀夫――剣と寒紅」(未読)を書いたことで知られる福島次郎が22日に亡くなった


ネットにある「心中・三島由紀夫、29年目の真実」という文章などを読むと、その衝撃的な内容に驚かされる
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/mishima03.htm


福島は三島の遺族から訴えられ、敗訴したため、この本はいわゆる「発禁」となっているようだ
ところが、この本、ネットでは販売されていて、Amazonでも注文できるのだ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/customer-reviews/4163176306/ref=cm_cr_dp_2_1/250-6781453-4854661?%5Fencoding=UTF8&s=books


たとえ、私が描いている三島のイメージが「木っ端微塵に吹き飛ば」されようとも、ぜひ読んでみたい


●(以下引用)………………………………………………………………


 福島次郎氏(ふくしま・じろう=作家)22日、すい臓がんで死去。76歳。告別式は24日午後2時、熊本市本荘6の2の9合掌殿島田斎場。自宅は同市萩原町7の47。喪主は妹、井村市子さん。

 1996年に「バスタオル」、99年に「蝶のかたみ」で芥川賞候補。98年に「文学界」に発表した小説「三島由紀夫――剣と寒紅」で、三島との交際を描き、話題を集めた。作中に引用した三島からの手紙が著作権侵害にあたるとして、三島の遺族が福島氏と文芸春秋などを相手に出版・販売差し止めなどを求めて提訴。2000年11月、最高裁で福島氏側の敗訴が確定した。

(2006年2月22日13時50分 読売新聞)