けものみち上 けものみち下 面白かった
しかし、読後感は重かった


この作品は、運命の糸に導かれて「けものみち」に迷い込んでしまった人間たちが、最後には日本社会の裏でうごめく「けもの」たちに、まさに文字通り「食われて」しまう恐怖の物語である


けものみちTV われわれの社会とは、かくも恐ろしさに満ちたものなのか

そんな社会で生き抜いていかなければならない人間たちのなんと悲しく哀れなことよ


■1■まず主人公の民子、彼女は、ある意味で同情すべき人間である


脳軟化症の夫を支えるために、いかがわしい旅館の住み込みの女中として働くことを余儀なくされている
夫は自分こそ介護の女中と関係しているくせに、民子が他の男と浮気していると邪推、しまいには精神の異常をきたしてしまう


あのまま何年生きることであろうか。寛次が生きる限り、彼女は自由になることができない
このまま寛次を背負っていると、自分までがずるずると泥濘の中におぼれそうだった

民子の深い嘆きは、同様な状況の中にいる私に、きりきりと響く


たまたま夫婦という名で結合された男女関係の不幸を死ぬまでひきずらなければならないものだろうか」という民子の悲痛な叫びをだれが否定することができようか


民子は「自由」を得るために、夫を殺し、「けものみち」に迷い込んだのだ


当初、民子は「けもの」の総帥である鬼頭老人の「めかけ」となり、「けものみち」をうまく歩み始めたように見えたが、老人の死によってその庇護を失ってしまう


彼女は、自分を「けものみち」に引きずり込んだ小滝を頼るが、最終的には裏切られ、哀れな最後を迎える


「裏切り」と「死」、まさに「けものみち」は「けもの」たちの弱肉強食の世界なのだ


※写真は、テレビ朝日「けものみち」HPより引用

http://www.tv-asahi.co.jp/kemonomichi/


■2■この作品のもう一人の主人公が久恒である
彼は、ノンキャリの現場たたき上げの職人肌の刑事として描かれる


民子の夫殺しについて、しつこいまでの独自捜査で彼女を追い詰めていくが、久恒もまた、あるきっかけで「けものみち」に迷い込む


民子を「女」として「欲しくなった」こと、それである
安月給に女房のヒス、そして知能の発達が遅れた子供、そんな「暗い穴ぐらのような家庭」から彼は抜け出したかったのだ


夫殺しの嫌疑と引き換えに民子に迫った久恒は激しく拒まれ、民子から報告を受けた鬼頭老人の隠然たる力により、彼は刑事の職を失職する


権力を失った人間は哀れである
地方の警察署へ行って本庁風をふかすことのできた久恒も、今度はその建物に入ることさえ「臆病」になり「気持ちがすくむ」のだ


権力の象徴であり、万能の切札であった」警察手帳も今はない
今の彼は一介の市井人になり下がっていた。もはや市民のだれも久恒を恐れないし、誰も畏敬しない
飲み屋も彼に対する愛想笑いを消し、酒一合でも代金を要求するであろう


久恒は鬼頭に復讐しようと単身「捜査」を続けるが、「焦りと油断」ゆえに「けもの」たちに消されてしまうのだ


■3■松本清張はこの作品で日本の暗部に巣食う「けもの」たちの実態を描こうとした


しかし、ここで注意すべき点は、「けもの」たちの世界が実は決して盤石(ばんじゃく)なものではないことだ

ある大ボスがいて君臨していたいたとしても、その力が衰えれば別の大ボスがその地位を奪い取る


ここで日本の黒幕として描かれた鬼頭は、生きているうちは、その屋敷に政財界のお偉方がひきも切らずに押しかけていた
警視庁の幹部すらもご機嫌伺いにはせ参じるくらいだから、鬼頭の一声で久恒をクビにすることもできた


しかし、鬼頭の死によって闇の勢力地図は一晩で変わり、鬼頭の腹心の部下だった秦野が鬼頭の通夜に殺されるという、衝撃的な事件まで起きてしまう


民子を裏切った小滝にしても、さらに鬼頭の手下の黒谷を裏切り、民子とともに葬りさる

炎に包まれた2人をあとにして、小滝が「哄笑」する場面で小説は終わるが、この小滝さえ明日はどうなる身かわからないのだ


「けものみち」が弱肉強食の世界である所以(ゆえん)である


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久恒が最初に民子に接近し、夫殺しについて疑いの言葉を投げかける場面で、松本清張は久恒に下っ端刑事の本音めいたことを言わせている


弱い者を一人や二人牢屋にぶち込んだところで、いったい、何になるんだろうという疑問が起こってくる。ほんとに善良な者がやむにやまれぬ事情で犯罪を犯す、それで一生を棒に振る


一方では法の網を潜って金持ちはいよいよ肥ってゆく。また、知能犯や凶悪犯は罪の意識がなく、何度も悪いことを重ねる。こんな連中と同じような法律で縛るのは理屈に合わないと思ってきたよ


これは、もう松本清張の言葉そのものである


善良な人間はやむにやまれぬ事情で犯罪を犯すことがある

しかし、本当のワルは法の網をかい潜り、容易にシッポを出さない

そんな矛盾した社会への異議申し立てである


社会派・清張の気概が伝わってくる文章である


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現在、放映中のテレビの「けものみち」は原作をベースにしているものの、ずいぶん現代風にアレンジしているようだ

あまり見る気はしない


主人公・民子の米倉涼子と小滝の佐藤浩市は原作とイメージが合うが、鬼頭の平幹二朗とか秦野の吹越満(知らない俳優さんだな)あたりがどうもイメージに合わない、それに米子の若村麻由美も


やっぱり松本清張の原作をじっくり楽しんだほうがいい!