藁塚を作りました。



藁を藁打ち石の上において藁打ち棒でたたくと藁の繊維が小さく分散して、
全体が丈夫でしなやかになるそうです。

ひょっとしたら物理的なものだけでなく、湿度と乾燥の面にも影響があるのかもしれないです。


今回の藁は、藁打ちはしていないです。







藁塚1号

2018年11月1日

これが一番最初につくった藁塚となります。
棒を用いない方法なので、風ですぐ倒れます。
なので、このあと丈夫な造りに変えることにしました。


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藁塚1号(改)


2018年11月2日

骨組みをします。園芸支柱です。


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三角すいのカタチになるように組みます。
三角関数で自在に寸法がとれればよいのですが。。(^^ゞ
まあ、大体三角形になったかなとおもいます。

いわゆるワイヤーフレームにあたる部分ですね。










2018年11月3日


藁塚が完成しました。

中空なので、サーフェスモデルでしょうか。



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正面です。







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斜め後ろの上から。









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別の度斜め後ろ。









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藁の質感です。











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斜め正面です。






毎年、稲作の藁を保管していたのでその藁も使っています。


藁の中に寒暖計をいれて調べてみました。

解ったのは、

晴れて日が当たれば藁の中は湿度がよく下がる。

雨が降り水を含めば藁の中は湿度が良く上がる。


天候に合わせてその天候をよく反映するように対応?しているようです。









2018年12月26日

藁塚を作って2カ月近くがたったところです。


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2019年1月6日


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斜め後ろからです。

藁の色が少し変わってきました。








書物やネットなどでいろいろ調べてみると、藁塚のルーツは古墳時代にはすでにあったようですね。
大きいのはニオと小さいのはニウとも。
ニウは人形との関係も。

地方ごといろいろな種類がありますが、棒付きと、棒のないものがあるようです。

歴史的に、中心棒付きの藁塚は瀬戸内海に多く、
その近くには練り土小屋や産屋という小屋があるというセットになっているようです。


中心棒がついた藁塚を見てみると、
ネットで見た中央アジアとかモンゴルの石塚のオボーにどことなく似ているような気がします。

藁塚が古墳時代に日本で始まった(または渡来した文化)と関連を当てはめるとすると、
瀬戸内海地域、古墳時代、唐から逃れた突厥の可汗の渡来という図式があったのか、と思いつくのだが。
または別の大陸や朝鮮半島の国々から渡来か、経由して渡来とか。

まぁ勝手な想像ですが。



まぁそれはそれで。





とりあえず、

藁塚をはじめて作ってみました。(^_-)-☆