2012年
2012年がはじまりました。
この絵は、クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」。
正確には、「ベートーヴェン・フリーズ」の、
「第3場面-歓喜・接吻」になるのかな?
ま、いっか。
最初、これにぴったりなフレームがあるなぁって、
加工してみたんだけど、
この絵が横長なもんで、
このブログのサイズに合わせたら、
やたら絵の部分が小さくなっちゃったから、
ダナエのときと同じフレームで作り直したよ。
なんかしっくりこないから、
最後に最初に作った方(←なんのこっちゃ?)も載せちゃおう♪
今年は辰年。
魚谷佳苗さん、年女なのです。はい。
12年ぶりの年女か。
…当たり前か。
自分として生きることになるタイミングで、
辰年っていうのもおもしろい偶然だな。
なんか、こうゆうの、
ちまたで言うとこの、
偶然じゃなく必然だったりしてね☆
ま、なんでもいいんだけど。
辰年だからか、なんなのか、
龍は好き。
好きっつったって、
実際にはいないか。
あ、まぁ、いないって言うか、実態はないって言うか、
いわゆる肉体なるものがないって感じかな。
私の勝手な感覚ですが。
そう言えば、
私の話は、人に通じるようになってきたね。
って、そう思ってるだけ?
じゃないことを祈る(笑)。
子供のころから言ってること、
って言うか、言いたいことは変わらないんだけど、
言葉を知らないもんで、言い方がわからないし、
伝えるってことがわかってないから、
会話ができる人が、ほとんどいなかった。
さらには、
それを人のせいにして、自分が学ぼうとしてなかったから、
意思の疎通が取れないのは、当たり前なわけで。
気づけばひとり。
わかってもらおうって気持ちが、
なんのためにあるのかわからなくなって、
そんな欲求も、いつの間にかなくなって、
人と違うことが当たり前になった。
当たり前になったと言うものの、
それは私が特別だからってわけじゃなくて、
同じ人間は、ひとりとしていないから。
つまり、はなっから当たり前なことなのだけど。
私は私として認識されないから、
必要とされてて、
私の存在に気づかれたとき、
私は必要なくなる。
おもしろいね。
私に気づいた人は、一瞬、
「さみしい」と感じるらしいけど、
私は私だから、おもしろいと思う。
トンネルを掘るときは、片方からではなく両側から堀り進みます。
掘り進むあいだは、とても孤独で向こうから誰かが
同じように孤独なまま掘り進んでいるなんて、想像もつきません。
でも、ずっと掘っていけばいつか、
向こうから掘り進められているトンネルと繋がります。
トンネルの全てを一人で堀り抜かなければならない
と思っていたのに、実は向こうからも堀り進められていた、
なんて大きな驚きです。
でも、ときどき、物事はそんなふうに、あるところまで行き着くと
突然「飛躍」することもあるのです。
石井ゆかりさんの青い鳥の本から。
ああ、ホントそうだなって。
最近、いきなり話が通じる人がいる。
そんな出逢いが増えてる。
こんなふうに感じて、学んできた人たちが、
たまたま今までそばに少なかっただけで、
きっともうすでに、たくさんいる。
そう感じさせてくれる。
こんなことばっかり書いてると、
また、わけのわからない人みたいだけど、
それをしてもいい時代って言うか、
もう素直に生きても大丈夫。
うん。
これも、自分判断だけどね。
笑ってるか、ぼ~っとしてるか、
あんまり喜怒哀楽がないようでいて、
とても感情的な私。
どんなときでも冷静に物事をとらえて、
客観的に判断したい。
そして、
これからいろんなことが、実現するのだろうけど、
傲慢にならず、
怠慢にならず、
積極的に目の前のことを楽しみたい。
心から、みんなで笑うために☆