鉢 一郎 ”つぶやき”  -2ページ目

鉢 一郎 ”つぶやき” 

国や人種や宗教など関係なく家族や仲間と食事をすることは幸せなことです。便利なものはふえましたけど価値あるものは今も昔も変わりはないと思います。

過去を振り返り、いつも思うことは自分の未熟さや怠慢

について、いつも後悔する。

きっと、若い頃の自分は最低の奴だったと思う。

もし、過去の自分に会うことができたらもっと謙虚で思いやりを

持って生きろと忠告してあげたい。

そのおかげで、今の自分には欠けている部分がある

一般的な心の形があるとすれば、ハートにはひびが入っていないが

どこか欠けた部分がるということだ。良い人間は完璧なハートの

形をしているにちがいあるまい。

欠けた部分も時間と共に丸みを帯びて、自分や他人、物や動物を

傷つけることが殆どなくなった。

それでも、その部分にたまに冷たい風がふくとやはり痛い

多分この痛みは一生治らないものだろう。

今は2匹の猫に対して愛情を注ぐことができる。

少なくともそう思えるが、十分な世話をしているとは言えないが

猫にたいして怒ることはないが、それでも彼らは愛情を示してくれる

私にとってそれはとても大事なことで、やっと何かわかったような

気がする。若いうちにこういうことに早く気づけば

もっと幸せな人生を送れたかもしれない。

今は残りの人生をどうすごせばよいのか悩んでいる。

健康であることが一番なのでそれ以上は望まない。

祖父は自分のことを吹き溜まりと言っていた

風に吹かれてたどりついた先が吹き溜まり

それでも96歳まで生きて、昼食を食べ終わって最後の言葉が

「ああ旨かった」と言って息を引き取ったそうだ

残念ながら、自分の事情により祖父が死んだときも葬儀も

知らずに何年かいた。唯一孝行できたのは、一度だけ

ひ孫の顔を見せて抱っこしてもらったことだと思うが

本当のところはそれが孝行だったのか、迷惑だったかは

本人に聞いてみないと分からない

今も思うが出来れば愛情に恵まれた人生を送りたいと思う

与えるのも与えられるのもどちら側でも良いからの

いまの私にとって愛情を与えられる対象は2匹の猫だが

おかげで助けて貰っている。そういったものがなければ

人生は砂漠のようなものだ。渇きには限界がない

満たされることがない渇望は、欲望よりも性質が悪い

欲望は自覚できるが渇望は止めることが出来ない。

いつまでたっても追い求める。渇きは癒されないのだ

乾ききってしまえば感覚を失い、必要性がなくなり

その部分は朽ちてしまうので問題は解決するが

それまでは自分でも分からない