信用社会こそが不安の根源 | 投げっぱなし懺悔

信用社会こそが不安の根源

見知らぬ他人にお金を預けるのはありえない。
銀行にお金を預けるのは平気でするのはなぜだろうか。

それは、信用しているからだ。

しかし、本当に信用できるのだろうか?
もし銀行が破産寸前で預けたお金を返してくれなかったら・・・
もし報道番組が口裏を合わせて、嘘の報道をしていたら・・・

「この世の中は信用社会だから、そんなことは許されない」

その言葉は信用できるのか?誰がその嘘を見破り、誰が許さないのだろうか?
また、見破り許さない誰か自身が、嘘をついて信用させようとしていたら・・・?

信用社会を信用するな。

不可能だ。
生きていくには社会に属せねばならない。

となると、信用社会の現代から離脱するしかない。
人はそれを「社会不適合者」と呼ぶ。

信用すると同時に、無意識に誰もが、自らに問いかける。
「信用の根拠はあり、その根拠は信用できるのか」
それが漠然とした不安を生むのである。
不安を抱きながらも、人は、ただ信じるしかない。